第52話

俺はきっと、この世で一番か二番と思えるくらい、つまらない人間だ。自分にはっきりとそんな低評価を付けるようになったのは、高校に入ってすぐの事だったと思う。それくらい、その頃の俺には自慢に思えるような秀でたものは何も持っていなかった。


 コンビニも郵便局もなく、バスなどの交通手段にも不便を強いられる田舎町に生まれてきた事は別にいい。だが、小学校に上がる前に父親が病気で亡くなってしまった事はかなり堪えた。


 俺だってそうだったんだから、頼れる実家も親戚もなく、女手一つで子供一人育てなくてはいけなくなった母さんは、内心もっと不安でつらくてたまらなかっただろう。それなのに、そんな事はおくびも出さず、農作業の傍ら、元民宿だった我が家を町の公民館代わりに運営するなど、母さんは自分なりに工夫して町の中に溶け込んでいった。


 そんな立派な母さんから生まれてきたっていうのに、どういう訳か俺は何の取り柄も見当たらない、ずいぶんとつまらない人間へと成長した。


 見た目はごくごく普通で、可もなく不可もない。身長も平均とさほど変わらず、勉強だって中の上くらい。運動神経はあまりよろしくなく、力比べや駆けっこだって、生まれた時からずっと一緒に過ごしている幼なじみの勝に一度も勝てたためしがない。


 たった一度だけ、そんな自分が悔しくて歯がゆくて泣いてしまった事がある。確か、保育園の時だったと思う。あまりにも泣きじゃくってひきつけまで起こしそうになった小さい俺を、母さんが優しく抱きしめ、背中をさすりながら言ってくれた。


「大丈夫よ、直樹。いつか必ず、直樹にとって誰にも負けない自慢できるたった一つのものがきっと見つかるわ。何てったって、お父さんの子供だもの。だから、絶対に大丈夫」


 父親の事をあまり覚えていなかった小さい俺には、その言葉の意味を理解する事はなかなかできなかったが、母さんが何度もそう言うのならきっとその通りなんだと子供心に納得した。


 きっと、見つかる。いつか、必ず。だから、絶対に大丈夫。


 これらの言葉を魔法の呪文代わりにし始めたある日の事だった。居間の押し入れの奥から、未使用のスケッチブックをいくつも見つけたのは。


 埃っぽいそれらにけほけほと咳き込みながら、小さな手で引きずり出し、何だろうと不思議に思いながら眺めていたら、そんな俺の後ろから母さんが覗き込んできて「あらあら」と懐かしそうに息を漏らした。


「お父さんのスケッチブックじゃない。直樹、あんたどこから見つけてきたの?」

「……お父さん?」

「そう。お父さんはね、絵を描くのがとても好きな人だったのよ。恥ずかしがり屋だったから、お母さんには一枚も見せてくれなかったけどね」


 亡くなる少し前、身辺整理だと言って自分が描き溜めていた絵をほぼ全て処分してしまったらしいが、使い切れなかったスケッチブックは残しておいたようで、俺は何だかとても嬉しくなった。写真でしか知らない父親から、ラジコンやおもちゃよりもずっと素敵なプレゼントを贈ってもらえたような気がしたからだ。

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