第51話

「勝がメインで育てたパンジーを、俺がスケッチブックに描く。それぞれ得意な事を活かせる部活を作るように勧めてくれたのが、この学校に転校してきた『あいつ』だった」

「え……? あのスケッチブックの子って、元々はよそから来た人だったの?」

「ああ。俺達だって最初はもうすぐ廃校になる学校で部活作ってどうすんだよって思ったけど、『あいつ』が自分のやりたい事をやらないのはおかしいって言ってくれてさ。そこからパンジーを育てる流れになったんだけど、楽しかった。本当に楽しかったんだよ……」


 心の底から、そうだったと自信を持って言える。今だって、『あいつ』との日々は鮮明に覚えているんだ。『あいつ』と過ごした時間は本当に楽しくて、きらきらと輝いていた。


「葵生、聞いてくれるか?」

 俺も、葵生の顔をじいっと見つめ返しながら言った。


「今から少し長くて、ものすごく変な『あいつ』の話をする。迷惑だろうけど、最後まで聞いていてほしい」

「……」

「そして、できる事なら、話が終わった後も『あいつ』の事を覚えていてほしいんだ。もう、葵生にしか希望は持てないと思うから」


 矛盾している事を言っている自覚も、充分にあった。そして、葵生にずいぶんこくな頼み事をしているという事も分かっている。


 それなのに、葵生は笑った。笑ってくれた。


 たぶん、勝が『あいつ』の事を忘れた瞬間を俺と一緒に見た事から、何かあると察してくれたんだろう。いや、それを抜きにしたとしても、こんな事を頼んでくる俺を許してくれる葵生は本当に優しい。


「いいよ」


 笑いながら、葵生が言ってくれた。


「その代わり、その長い話が終わったら、今の直樹の本当の気持ちをきちんと聞かせてほしい。たぶんそれは、私が今一番聞きたい事だと思うから」


 葵生のその言葉に、俺は力強く頷く。俺は心から思った。葵生と出会えて、本当によかったと。


 もし、今からの長い話が終わった後で、それでも葵生が俺の隣にいる事を望んでくれるなら、その時は、葵生がずっと聞きたいと待ちわびている言葉を少しも間違える事なく伝えよう。


 それはきっと、『あいつ』もそうしろって言ってくれる事だと思うから――。

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