第50話

昇降口からそんなに離れていないその場所にあった俺達の花壇は、やっぱり見る影もなくなっていた。


 俺と勝の卒業式の時にはあんなにきれいに咲いてくれていたパンジーは、たぶん鳥か何かに啄まれてしまったんだろう。花どころか茎や葉っぱすらどこにも見当たらず、囲い代わりにしていた縁石も擦り減って平べったくなっている。大小様々な石がごろごろと混ざっているせいで、雑草すら生えていない痩せた土だけが無機質に横たわっていた。


「勝、ここのパンジーの事も忘れちゃったのか。全く、薄情な奴だなあ……」


 今のこの現状が、決して誰のせいでもないって事は充分に分かっているのに、それでも言わずにはいられなかった。


 『あいつ』を忘れてしまった勝への八つ当たりの言葉を吐きながら、ぱさぱさに乾き切ってしまっている土を呆然と見ていたが、そんな俺の手から葵生がするりとすり抜けてしまった時はさすがに驚いた。


 まさか葵生まで、『あいつ』みたいにいなくなってしまうんじゃ……。


 そんな大きな不安に襲われた俺は、急いで自分の隣に顔を向ける。すると、花壇の足元の方にゆっくりとしゃがみ込んで、中の土を両手で掬い上げている葵生の姿が見えた。


「……この根っこが、もしかしてパンジー?」


 葵生の小さくてきれいな両手の上を汚しているぱさぱさの土の中に、絹糸のように細くて頼りない根っこの束が見えた。花壇に植え替える時、あんなにたくさんの根を鉢の中いっぱいに張らせていて、『小さくても、こんなに生命力に満ち溢れているんだね』って『あいつ』が嬉しそうに言っていたっていうのに。


 「うん」と一つ頷いてから、俺も葵生の横にしゃがみ込んでその土と根っこに指先で触れた。分かってはいたけれど、あの頃とは感触そのものが違う。何もかもが、『あいつ』がどこにもいない証明のようなものになってしまっていた。


「本当に、きれいな花が咲いたんだよ……」


 そんな記憶までなかった事にしたくなくて、俺は葵生に話し始めた。


「俺と勝と『あいつ』が、この学校の最後の在校生だった。三人で部活を作ろうって話になって、勝が園芸部で俺が美術部。そして『あいつ』は、そんな俺達の応援団になってくれた」


 話を始めた俺の顔を、葵生がじいっと見つめる。その両手の中の根っこを払い落とすどころか、まるでとても大切な宝物を守っているとばかりに、優しく包み込むように持ちながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る