第47話

『私、直樹には幸せになってほしい……』


 一つだけ違うものがあるとすれば、あの日そう言ってくれた『あいつ』の気持ちと、今の葵生の気持ちは真逆を向いているという事だ。『あいつ』はああ言ってくれたけど、葵生は違う。例え同じ表情をしていても、葵生はきっと……。


「ごめん、葵生」


 少しの時間を置いた後、俺は勇気を振り絞ってそう言った。その時、また風がさあっと吹き抜けて葵生の耳に届かなかったんじゃないかと不安になったが、彼女はゆっくりと俺の方に顔を向き直してくれた。


「直樹……?」

「お前に対して、誠実になれてないっていう自覚はある。図書室でも、小原にさんざん怒られた」


 この合宿が決まった時の、図書室でのやり取りが思い起こされる。LINEで呼び出された上、「まずはゼミ班のリーダーとしてじゃなくて、葵生の親友として話をさせてもらうんだけど」と前置きしてきた小原の満面の笑みは、今思い出してもちょっとした恐怖ではあるものの、葵生は本当にいい親友を持ったとも思う。あんなに心を配れる奴は、きっとこれから先の人生でもそうそう出会えないだろう。


 そして、葵生の親友にまでそれほど気を揉ませてしまっている今の自分を、心底情けなく思う。今の俺を見たら、『あいつ』は何と言うだろう。明るく励ましてくれるのか? それとも呆れ返って、俺の背中をバシバシと叩いてくるだろうか……?


 そんな事を考えていたら、ふと葵生の口から「もしかして、あの子の事で謝ってくれてる?」という言葉が降ってきた。俺は目を見開いて、今は苦笑いを浮かべている葵生の顔を見つめた。


「え……」

「もしかして、今、直樹の頭の中に浮かんでいるのは、あのスケッチブックの女の子だったりする……?」


 そんな事はない、なんて軽々しい嘘はつけなかった。でも、それを言葉にするのはどうしても気が引けて、俺は黙り込む。葵生はそんな俺の態度を肯定と受け取ったようで、さらに小さく「ふふっ……」と笑った。


「大丈夫だよ。これは、私の問題だから」

「どういう意味?」

「私が勝手にやきもきしてるだけ。一人で勝手に羨んでるだけだから」

「……」

「自分勝手だって分かってる。直樹がどんな絵を描こうが自由だし、私がそれに口を出すなんておかしい。でも、やっぱり思っちゃうんだ。あの子ばっかり、ずるいって……情けないよね」


 今度は、葵生が持つ缶ジュースからペキッと変な音が鳴る。それを聞いて、俺はもう居ても立ってもいられなくなった。

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