第39話

……やめろ。やめろよ、やめてくれ。


 俺の頭の中に広がろうとしている真っ白な霞、今すぐ止まれ。俺の大事な思い出を消そうとするな。


 本当に、本当に好きだったんだ。どんなに叶わないって分かっていても、明るくてまぶしい笑顔の『あいつ』と一緒に過ごす事のできた日々はとても愛おしかった。直樹に嫉妬して、醜い気持ちを持ってしまった事もあったけど、それも全部ひっくるめて大事な思い出なんだ。何物にも代えがたい大事なもので、ずっと励みになってくれていたものなんだよ。


 それなのに、何の権利があって消そうとするんだ。何のつもりだよ。俺が『あいつ』を覚えている事が、そんなに不都合なのかよ。何で、何でこんな事するんだよ……!


 直樹、よかった。お前は違うんだな。まだ、そうじゃないんだな。お前のスケッチブックを見て、俺は安心したよ。お前はまだ、『あいつ』の事をしっかり覚えてるんだな?


 本当に、おかしいんだ。この町の人達は、誰も『あいつ』の事を覚えていなくて。まるで最初から『あいつ』はいなかったみたいな感じに振る舞うし、お前のおふくろさんに至っては「そんな子、いなかったじゃない」なんて言う始末だ。


 ああ、もううまく言葉が口から出てこない。頭の中の白い霞がどんどん濃くなってくる。もう、『あいつ』の顔が見えなくなってきた……。


 直樹、頼む。お前だけは、『あいつ』の事を忘れるな。お前だけは、あの日々の事をずっと覚えててくれよ。でないと、『あいつ』があまりにも可哀想だ。


 だって『あいつ』は、きっと初めて会った時から、直樹の事を……。







「……い。おい、勝!? 大丈夫か、しっかりしろよ!」


 慣れない野宿と長距離の徒歩での移動にすっかり体が参ってしまっていたのか、ほんの一瞬、意識が飛んでいたみたいだった。懐かしい声が聞こえてきたと同時に両肩をやや乱暴に揺られている感覚にはっと我に返ってみれば、目の前に見えたのは約三年ぶりに会う幼なじみであり、唯一の同級生でもある男の顔だった。


「おう、直樹。久しぶりだなあ、いつこっちに帰ってきてたんだよ?」


 大学生活が忙しいとか何とか言って、夏休みも年末も帰ってこない少々薄情な幼なじみに会えたのがとても嬉しくて、俺もそいつの肩をバシバシと叩いてやる。その途端、奴の口からひゅっと短く息が漏れる音が聞こえた。

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