第38話

「本当はやってみたいくせに、それなりの努力もしないうちから選択肢を狭めてんじゃねえよ」

「……」

「俺には親の後を継いで農業やるって事しか取り柄がねえけど、お前の絵はこれからの選択次第でいくらだって道が広がるんじゃねえの?」

「そんな事は……!」


 何か反論しようと思ったのか、直樹がきっとこっちに視線を向けて口を開きかけていたけど、最後まで言い切る前に『あいつ』の「いいじゃない、農業」という言葉が割り込んできた。


「両親の後を継ぐっていうのも、立派な夢だと思うよ? 私、大人になった勝君がお米や野菜を育てていくの、すごく楽しみ」

「え……」

「いいなあ、私は逆にうらやましいと思うよ? 直樹や勝君と違って、私には夢なんてないし」


 そう言うと、『あいつ』は一瞬。本当にほんの一瞬の間だけ、切ない表情を俺達に見せた。


 いつも明るくてまぶしく笑う『あいつ』の表情しか知らなかった俺達は、初めて見るその一瞬に体が固まってしまった。まさか、『あいつ』の口からそんな言葉が出てくるだなんて夢にも思っていなかったから。


「……そんな事、ないだろ?」


 少しの間を空けてから、直樹が信じられないとばかりにそう返す。だが『あいつ』はふるふると首を横に振りながら「そんな事あるよ」と言った。


「私、こう見えてわりと空っぽなところあるもん。だから、もうやりたい事を見つけられてる直樹や勝君の事、本当にすごいって思ってるよ」

「……」

「私、二人の事をめちゃくちゃ応援する! 何てったって、専属の応援団長だしね!」


 すくっと立ち上がると、『あいつ』はじょうろを持ち上げて花壇のパンジーに水をやり始めた。いきなりそうするものだから、ほんのちょっと俺達の手に水がかかってしまったが、『あいつ』はそんな事など気にも留めない様子で、パンジーをいとおしそうに見つめている。


 さあさあと独特の音を立てて、パンジーに降り注いでいくじょうろの中の水。元気に青々と広がっているパンジーの葉は、そんな水を弾いて小さな水玉模様をいくつも作り上げていく。


 俺と直樹はもう何も言えなくなって、ずいぶんと長い間、『あいつ』とパンジーの様をじっと見つめていた。そして帰りが遅くなった俺は、案の定、母ちゃんからめちゃくちゃ怒られた。

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