第36話

毎日毎日、手のひらが真っ黒になるまで。それこそダース単位で鉛筆の消耗が激しいくらい、たくさんの絵を描き続けている直樹の腕前がよくならないはずがない。絵に関して全く詳しくない俺でも、直樹に才能があるって事は分かっていた。


 だからこそ、直樹が美大に行きたいと思うようになるのはごくごく自然な事だし、俺だってそうすればいいと思う。その時はきっとこの町から出ていくだろうから、とても寂しくなるけど。


「おい、直樹。ちょっと待てって」

「直樹、お願いだから待って」


 放課後。全く目を合わせないどころか、そそくさと足早に教室を出ていく直樹を、俺と『あいつ』は必死になって追いかける。なのに、どんなに呼びかけても直樹は足を止めようとしなかった。


 それにちょっとムカついた俺は、昇降口の所で直樹の肩を捕まえると、そのまま花壇の方へと強引に連れ出した。


「何するんだよ」

「帰るなら、今日のパンジーの世話をちゃんとしてからにしろ」

「よく言うよ。三日間、何も言わずにサボってたくせに」

「じゃあ、訂正。俺がサボってた分を手伝え」

「何だよ、それ」

「いいから。ほら、ここらの雑草抜けよ」


 花壇の横に置きっぱなしにしていた道具箱から軍手とスコップを取り出し、それを直樹に押し付ける。直樹は押し返そうとしたが、腕力で俺に勝てる訳がない。早々にあきらめて、しぶしぶと雑草抜きを始めた。


 俺も直樹の右側にしゃがみ込んで、三日間見てやれなかったパンジーの様子をじっくりと観察する。……うん、よかった。直樹や『あいつ』の世話がちゃんと行き届いてくれてるおかげで、パンジーの葉や小さな蕾に病気の兆候は見られない。どれもこれも青々しい葉を広げてくれてるし、あともう少しすればかわいらしい花を咲かせてくれるだろう。


「サンキュな。俺の分までちゃんと世話してくれて」


 理由はどうあれ、自分で言いだした事をサボる形になってしまったのは変わりないから、俺は素直に礼を言う。すると、じょうろにたっぷり水を汲んで戻ってきた『あいつ』がまるで何でもない事のように「どういたしまして」と返した。


「これは、私達三人のパンジーだもん。そりゃあ皆でお世話するに越した事はないけど、たまにはそういう時だってあるよ」

「そりゃまあ、そうかもだけど……」

「それに見て。このパンジー達、ものすごく元気に育ってると思わない?」


 重そうなじょうろを花壇の脇に置いて、『あいつ』が直樹の左側にしゃがむ。その事にやっぱりちょっともやっとしたけれど、『あいつ』の言葉の続きを聞いていたくて、俺は黙っている事にした。たぶんだけど、きっと直樹も同じ気持ちだったと思う。

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