第35話

「学校の中と外、温度差違い過ぎ! 用務員のおじさん可哀想だったよ。焼却炉の周りがとんでもない事になってて、すっごい汗だくだった!」


 暑さによるいらだちで興奮しているらしく、『あいつ』はごみ箱と紙束を持ったままべらべらと早口でまくし立てる。そんな様を見て、つい思ってしまった。朝、あんなに大泣きしながらしがみついてきたいじらしい『あいつ』は、俺の都合のいい妄想だったのかと。


「……悪い。そんなクソ暑い中、ごみ出しに行かせて」


 とにかく、わざわざ行ってくれたのだから少しは労おうと、俺は持っていたほうきを窓際に立てかけてから『あいつ』が抱えているごみ箱を受け取ろうと手を伸ばす。その時、『あいつ』の手のひらにあった紙束の一枚がそこからすり抜けるようにはらりと床に落ちていくのが見えて、俺達の視線はそこに釘付けとなった。


「あ、これ……」


 何秒か経って、次に口を開いたのは直樹だった。それもそうだろうな。直樹にとって一番心当たりがあって、確かに捨てたはずのものが目の前にあれば、少なからず驚くってもんだ。


 そんな直樹に向かって、『あいつ』は少しむくれたような表情を見せながら「ダメでしょ、直樹」と言った。


「こんな大切なもの、間違えてごみ箱なんかに入れたら」

「……間違えた訳じゃない。つーか、そんなの持って帰ってくるなよ」


 ばつが悪そうに視線を外す直樹。俺は床に落ちた紙切れを拾い上げ、『進路希望票』と銘打たれていたそれの中身に改めて目を通した。


 夏休みが始まる少し前に担任から渡されたそれを、俺は数分もかけずに記入して、その日のうちに提出した。「第一希望 実家の農業を継ぐ。第二・第三希望は特になし」と。


 直樹の奴、まだ提出していなかったのかよと思いながら目を通したその進路希望票の記入欄には「第一希望 美術大学進学希望」の文字が書き込まれてあった。


「直樹、お前……」

「やめろよ、勝。いくら幼なじみでも、プライバシーの侵害だぞ」


 俺が何か言おうとする前に、直樹は俺の手の中の進路希望票をひったくって、今度こそと言わんばかりにびりびりに引きちぎる。そして『あいつ』が持っていた残りの紙束も同じようにひったくると、それらもぐしゃぐしゃになるまで小さく丸めた後、何の躊躇もなくごみ箱の中に投げ入れてしまった。


「ちょっ……、直樹!」


 直樹のその様に『あいつ』が非難めいた声をあげるが、直樹は「いいんだよ」と首を横に振った。


「もう別の大学への受験準備も進めてるし、これはほんの気の迷いって奴。二人とも気にしなくていいから」


 そう言って俺達に背中を向けると、直樹は掃き掃除の続きを始める。


 ……おい、すっとぼけるなよ直樹。幼なじみをなめるな。お前が美大に行きたがってた事くらい、この俺が知らないとでも思っているのかよ。


 びりびりに破かれた進路希望票と一緒にごみ箱に投げ入れられたのは、直樹が毎日のように描き溜めていたこの町の風景画の数々だ。それを、『あいつ』がとても悲しそうな目で見つめていたのを、俺は決して見逃さなかった。

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