第28話

それからの残りの夏休みは、俺には――いや、俺達三人にはとても有意義なものへと変わった。


 これまでの夏休みは家の手伝いをするか、直樹と一緒に大量の宿題を片付けるかのどちらかしか選択肢はなく、それらをつまらないと思う事もなかった。そんな大した刺激のなさがこの町に住む俺達の宿命みたいに感じていたが、『あいつ』が来てからその気持ちは一変した。生まれて初めて、心の底から楽しいと思えるようになったんだ。


 『あいつ』の両親は仕事で忙しく、朝早くから家にいないという事などざらだったようで、何曜日のどの時間に約束しても『あいつ』は嬉しそうに出向いてくれた。佐竹(さたけ)さんちにパンジーの苗を分けてもらいに行った時も、それを校舎の横の花壇に植えに行った時も、俺達のそんな様子を直樹がスケッチしている時だって、いつも『あいつ』はまぶしい笑顔を見せてくれた。そんな楽しい日々を過ごしている間に、俺達が『あいつ』を、『あいつ』も俺達を下の名前で呼ぶようになっていったが……。


「それじゃ、勝君に直樹。また明日ね!」


 山あいに夕日が差しかかる頃になると、『あいつ』はいつもそう言って帰っていくのだが、俺はそのたびにもやもやしていた。何で直樹は呼び捨てなのに、俺は君付けなんだ、と。


 そりゃあ、俺もいつだって一緒にいられた訳じゃない。どうしても抜けられない畑仕事をしなきゃいけない日もあって、そんな時は直樹と『あいつ』にパンジーの世話を任せる事もあったが、それだってほんの二回か三回くらいの事だ。


 ずいぶん細かい事を気にするんだなと言われればそれまでだし、実際その通りだとも思うが、やっぱりすっきりしない。どうしてもただの呼び分け程度には思えなくて、『あいつ』に勝君と呼ばれるたびに、直樹とは違う何かを置かれているような気がしてならなくて……だからだろうか。俺は一度も『あいつ』に「また明日」と言葉を返した事がなく、いつも手を振るばかりだった。


 そして、それは何故か直樹も同じだった。直樹も『あいつ』に対して「また明日」と言葉を返してやった事はなく、鉛筆で汚れた手を振るばかり。そんな直樹を見ていたら、いつしか俺はだんだん焦るようになっていった。


(おい、冗談だろ。もしかして直樹、お前も……?)


 ガキの頃からずっと一緒にいただけあって、あまりべらべらとものをしゃべらない直樹であっても、何を考えているかくらい、ちょっとは分かっているつもりだった。そのせいで、俺は汚い気持ちを持ってしまったんだ。俺の方が、『あいつ』を先に好きになったのにと。


 だから、一度だけ。本当に一度だけ、直樹をほったらかしにして、『あいつ』一人を呼び出した事があった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る