第26話

「ああ、お帰り勝。帰って早々悪いんだけど、明日使う肥料の確認しといてくれる?」

「ん、分かった」


 直樹や『あいつ』と途中で別れて自分の家に辿り着いた時、畑から一度帰ってきたばかりと思しき母ちゃんと玄関先でばったり出くわした。


 俺は、母ちゃんがセンスのいいおしゃれな服を着ているところとか、しっかりと化粧をしているようなところを見た事がない。死んだばあちゃんが残してくれたというつなぎ服やもんぺパンツ、農園帽ばかりを着ているし、香水のいい香りどころかいつだって土の匂いを漂わせている。


 中学生の頃はそんな母ちゃんをちょっとだけ嫌に思っていた時期もあったし、テレビでたまに見かける美人でスタイリッシュな母親をうらやましく思った事だって一度や二度じゃなかったが、今はちっともそういうふうには思わない。慣れたと言ったら聞こえは悪いかもしれないが、どんなに薄汚れた格好になっても楽しそうに作物の世話をしている母ちゃんをずっと見てきて、「これが母ちゃんが一番やりたい事なんだ」と分かった瞬間、何かがすとんと心の中で落ち着いた。それからだ、俺が積極的になって母ちゃんの仕事を手伝うようになったのは。


 母ちゃんに言われて、家の庭の隅に積み上げている肥料袋の数をチェックする。うちの畑は使う肥料にかなりこだわっていて、じいちゃんの代から世話になっている隣町の店まで定期的に買い付けに行っている。今は父ちゃんが軽トラックに乗って買いに行ってるが、高校を卒業したら俺がその役目を代わろうと思っている。


 わずかに肥料袋から独特の臭気が漏れていたが、俺はこの匂いが好きだ。食べ物を育て、それを食べる人間を生かそうとしてくれる匂いなんだと両親から教えてもらったガキの頃から、俺は農業で生きると決めていた。


 だから、この日初めて会った『あいつ』から、そんな俺のありきたりで「普通」に捉えていたものを素敵だと言ってもらえた事が、こんなにも嬉しかったんだ――。


「……何やってんだい、勝。肥料袋に顔なんか引っ付けちゃって」


 なかなか家の中に入ってこない俺に焦れたのか、母ちゃんが声をかけに来てくれたけど、俺はろくに返事もせずに積み上げられた肥料袋の一つに顔を突っ込んだまま、『あいつ』と出会えた喜びを噛みしめていた。

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