第21話

「何だ、お前。この大バカ野郎の知り合いか?」


 女はびくりと肩を震わせたものの、決して爪を離そうとしなかったし、俺から目を背ける事もしなかった。そしてちょっと間を空けた後で、「わ、私は」と口を開いた。


「私は、直樹の恋人です。だから、あなたのその乱暴を許す事なんてできません」

「は……?」

「直樹から手を離して。そして、謝って下さい」


 気丈にそう言い切る女に、俺は逆に口を閉ざさるを得ない。は? 恋人? 今、この女、恋人って言ったか? 俺は信じられない思いで直樹と、そして俺達の足元に散らばっている物を交互に見つめた。


 本当に、直樹は何も変わっていない。いや、むしろ高校の時より抜群に絵が上手くなっている。素直にそう思えるくらい、足元で広がっているスケッチブックの中の『あいつ』は生き生きとしていて、どうして『あいつ』の為にも美大を受けなかったんだという疑問がまた蘇った。


 もしあの日、直樹と『あいつ』があの道を通りさえしなければ、きっと今は全然違うものになっていた。少なくとも、直樹の隣にいるのはこの女じゃない。絶対、『あいつ』だったはずなのに――。


 どうしようもなく悔しくて、ムカついて、情けなくて。それをうまく言葉に出せなくて押し黙っていたら、ふいに直樹の「いいよ、葵生」と女を止める声が聞こえてきた。


「俺は大丈夫だ。それより、勝から手を離してやってくれ」

「直樹、でも」

「勝はこの町にとって、貴重な担い手の一人なんだ。俺なんかの為に、下手に怪我をしてほしくない。だから、頼む」


 俺に襟元を掴まれ、踵が浮くほど体を持ち上げられてるってのに、直樹は少しも苦しそうにしないばかりか、何だかとても寂しそうに見える顔を女に向けて、ぺこりと頭を下げる。それが心底頭に来て、俺は乱暴に直樹から手を離してやった。


 「うわっ……」と短い声をあげて、あぜ道の真ん中に尻餅をついた直樹を見た女が、慌てて俺から離れて奴の元へとしゃがみ込む。そして心配そうに手を差し伸ばしていく様を見た時、俺はあの日の『あいつ』の言葉を思い出した。





『……いいじゃない、農業。両親の後を継ぐっていうのも、立派な夢だと思うよ?』

『私は逆にうらやましいと思うよ? 直樹や勝君と違って、私には夢なんてないし』

『私、二人の事をめちゃくちゃ応援する! 何てったって、専属の応援団長だしね!』





 あの時の『あいつ』のまぶしい笑顔が決して霞まないよう、今でも必死になって思い出している。『あいつ』がそう言ってくれたからこそ、俺はこんな片田舎の小さな町でも頑張っていけるんだ。自分の夢が決してちっぽけでつまらないものではないのだと教えてくれた、『あいつ』の為にも。


 だからこそ、俺はこの町から、そして『あいつ』からも逃げ出した直樹の事が許せない――。

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