第8話

「お待たせ、葵生。話はついたからね」

「話って……、何の事?」

「私と西本が一緒に受けているゼミって言ったら、歴史学部の渋川しぶかわ教授しかないじゃん」


 渋川という名前を聞いて、思わず「げっ」と口から出てしまった。


 その名前に相応しいと言うべきなのか、かなり気難しくて学生達への当たりが強いあの教授は、レポートの提出期限の厳しさはもちろんの事、ほんのちょっとの不備や疑問点を見つければ何度だってやり直しをさせるし、二言目には「単位が欲しければ、もっと頑張りたまえ」などと言ってくる。そのせいで何日も徹夜を強いられ、ふらふらの状態で彼の研究室を出入ではいりしている学生を何度見かけた事か……。つくづく渋川ゼミを取らなくてよかったと今でも思う。


 でも、目の前の二人はその厳しい渋川ゼミを取っている。そう言えば一か月くらい前、美雪が何かしらの課題レポートを作らなくちゃいけないなんて事を言ってたっけと思い出していたら、その美雪が私の肩をぽんぽんと叩きながら言ってきた。


「再来週の連休、私達渋川ゼミ班は西本の地元に行く事になったの。ちょうどレポートにぴったりな城跡じょうせきがあるっていうから」

「えっ!?」

「来月の頭までに出さなきゃいけないレポートがあるっていうのに、西本ったらまだろくに書いてないって言うんだもん。だから、強制合宿って奴? それで、葵生にはこいつの見張り役をお願いしたいの」


 ね? とウインクしてみせる美雪に、彼女なりの気遣いを感じた。きっと、その連休の間に私達の間にあるわだかまりをどうにかしなさいよと暗に言ってくれているんだろうけど、そもそも渋川ゼミと無関係である私の同行を直樹が許してくれるとは思えない。


 だが、そんな私の予想に反して、ようやく顔を上げた直樹は「葵生さえよければ」と口を開いてくれた。


「迷惑じゃなかったら、一緒に来てくれるか? その、俺の地元を葵生にも見てもらいたいし……」


 そろそろと腕を伸ばし、机の上に置きっぱなしにされていたスケッチブックを取り戻しながら、直樹がそう言う。言葉と行動がちぐはぐしているように見えて、少し複雑な気分になったが、付き合いだしてから初めて、直樹の方からこうしてほしいという旨の言葉が聞けた。それが本当に嬉しくて、私は何度も頷く。その視界の端で、美雪がまた小さくガッツポーズを決めているのが見えた。

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