第111話

翌日の昼過ぎ。拓海は最悪の目覚めを迎えた。


 あの後、拓海は延々と小言を繰り返し続けるミチを何とか追い返して、そのまま『Full Moon』に出勤した。同伴とアフターの同時展開で、店に出てこないと聞かされていた拓海がいつもと変わりない様子でホールへと出てきたのを見て、ホストや客達はずいぶん驚いていた。


 その中でも一番驚いていたのは、笙だった。せっかくちょこちょこと自分を指名し始めてくれた客をほったらかす勢いで近付いてくると、「どうしたんすか!?」と小声でささやいてきた。


「今日、あいつの所に行ってるってオーナーから聞かされてたんすけど。まさか、また揉めました!?」

「そのまさかだよ」


 まだ船上での苛立ちが昇華できていない。これじゃあ、ホールに出てきたのはいいとしてもまともな接客ができる自信がない。そう思った拓海は、笙の肩に手を置いて言った。


「笙、今日はお前のヘルプに着かせろ」

「へうぇ⁉」


 思いがけない言葉が拓海の口から出た事を、そんなに異常と取られたのか。笙はものすごく間抜けな声を出しながら、文字通り飛び上がった。


「い、いやいやいやいや! 何言ってんすか、拓海さん! No.1ホストにそんな事させたってバレたら、俺殺されちゃいますって!」

「誰に殺されるってんだ、ドラマの見過ぎだわ。イッキでも何でもやってやるから、ボトル入れさせろ」


 いや、ダメですって。マジでやめて下さい。何度も何度も焦った声でそう言い続ける笙を無視して、拓海は先ほどまで彼がついていたボックス席に向かう。そして、OLらしき三人の女性達に向かって片膝を付くと、名刺を差し出しながら名乗った。


「いらっしゃいませ、拓海です。笙と一緒に着かせていただきます」

「えっ、嘘⁉ あの拓海さんですか!?」


 OLの一人が色めき立って、大声を出す。キンキンと耳が痛くなったが、さっきの事に比べれば全然マシだと、拓海は笑顔を貼り付けた。


「皆さんにお会いできて光栄です。今日は楽しんでって下さいね」

「やだ、どうしよう。拓海さんが着いてくれるんなら、安いお酒なんか頼めないじゃない」

「ねえ、張り切って追加注文しちゃおっか?」


 銘々にそう言いながら、OL達はメニューを見直し始める。そこへ笙が申し訳なさそうに席に着いたが、拓海はそんな彼の頭を軽く小突きながら言った。


「安心しろ。売り上げは全部くれてやるから」

「……そんなの、気にしてないですよ。それより、本当どうしちゃったんですか」

「別に。ただ、むしゃくしゃしてるだけだ」


 きゃあきゃあと騒ぎ続けるOL達の声に紛れ込ませるようにそう答えた拓海は、やがて彼女達が頼んだそこそこの値が張るボトルをほとんどイッキ飲みしてしまった。


「No.1ホストともあろう方がヤケ酒ですか? 今日のデート、よっぽど楽しくなかったようですね。マジでみっともないですよ」


 閉店後、背中の向こうから紫雨が冷めた口調でそう言ってきたのを聞いたのが最後の記憶だ。


 どうやら無事に帰宅できたがいいが、新人の時以来だ。こんな最悪な仕事ぶりを晒してしまったのは。


「くそったれ……」


 二日酔いが残って鈍く傷む頭を抱えながら、拓海は一人ベッドの上で呟く。本当に、最悪の気分だった。

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