第110話

「しょせん、あいつは金を出すだけだろ」


 拓海が言った。


「『太陽の里』を建て直すにしても、新しいスタッフをよこしたとしても……あいつが直接関わる訳じゃない。金を出すから、後は適当にやっといてって感じか?」

「何だと……?」

「ふざけてんじゃねえぞ。俺はな、ずっと体張ってNo.1ホストであり続けた。その稼いだ金で先生やガキ達を支えてきたんだ。なのに、いきなり弟だとか訳の分かんねえこと言って現れたような奴に、これ以上しゃしゃり出られてたまるか!」

「貴様! 智広様のつらいお気持ちも知らず、よくもそこまで!」

「知るか、そんなもん! これこそ余計なお世話って奴だ! これ以上俺に……俺の周りに関わんな!」


 まさに一触即発といった空気だった。互いに掴みかからんとばかりににらみ合っていたが、先に顔を背けたのは拓海だった。拓海はそのままずかずかとした足取りで廊下を進み出す。向かう先には、この客船の搭乗デッキがある場所があった。


「帰るぞ、ミチ!」


 振り返りもせず、拓海は大声を張り上げる。それにミチはびくりと肩を震わせたが、その様子を心配そうに見下ろしていた松永に気付いて、慌てるように頭を下げた。


「ごめんなさい、拓海がきつい事を言って」

「いや……。こちらこそ、こんな場に巻き込んでしまってすまなかった」

「あの、智広君に伝えてくれますか? あたし達の事考えてくれてるのはありがたいけど、急なお話だから……その、まずはお義父さん達と相談させてほしいって」

「分かった。智広様が回復されたら、必ず」

「本当にすみませんでした、失礼します」


 早口でそう言い切り、ミチもバタバタとした足取りで拓海の後を追う。彼女の背中がどんどん遠くなり、やがて見えなくなるまで松永はその場に立ち尽くしていたが、ふいに彼の背後から近付いてくる一対の足音が聞こえてきた。


 ……智広様? いや、そんなはずはない。さっき鎮静剤を飲ませたばかりだから、まだ客室でお休みになられているはずだ。


 勢いをつけて松永が振り返ると、そこにいたのは一人の老人だった。背中が少し曲がっているせいか、ミチよりも小柄に見えるものの、松永を見上げてくるその眼光はとても鋭いものがある。そして松永は、この目に見覚えがあった。


「あんたは……」

「久しぶりじゃな、松永の小倅こせがれ。二十二年も見ないうちに、すっかり父親よりまともな執事になったじゃないか」


 松永の事をよく知っているふうな口を聞くその老人は、拓海とミチが去っていった方向へと視線をずらし、ずいぶんと懐かし気に口の端を持ち上げた。


「また記者どもに箝口令を出してたな。今回はどれだけ金をバラまいたんじゃ?」

「……あんたには関係ない。そもそも、どうしてここにいる?」

「出張みたいなもんさ、ここの船医とは昔から懇意でな。奴の付き添いとして招待状は戴いている、文句はないな?」


 そう言いながら、老人は懐から招待状を取り出して見せつける。今度は松永が舌打ちをする番だった。


「あの子は、佐嶋拓海だろ?」


 招待状を指先で振りながら、老人が言った。


「ごまかしても無駄じゃぞ。あの右肩の傷、絶対に間違いない。どうやってあの子を……」

「今更になって脅すつもりか?」

「ふん、この年でそんな気力も体力もないわ。金なんぞもらったところで、使う当てもないしな」

「先に言っておく。拓海・・に近付くな……!」

「おお、こわ。相変わらず欲深い男よ、そうまでしてあの二人を守りたいか?」


 やれやれと肩をすくめる割には、老人の表情にそんな色など少しも浮かんでいない。それを甚だ不愉快に思ったが、松永は全身に力を入れてから「当たり前だ」と答えた。


「俺は、その為にこれまで生きてきたんだからな……!」

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