第102話

午後六時に差しかかった頃になると、ラウンジの中はたくさんの着飾った人々で賑わいを見せ始めた。


 しかし、どうやらやってきたのは招待客だけではなく、財界人や芸能人、果てには大物政治家達の後を追ってきた何社かのマスコミ関係者の姿もある。松永に連れられてラウンジに入った拓海は一瞬体を固くしたが、すぐに深呼吸をする事で落ち着きを取り戻した。だが、ミチは。


「……おい、平気か?」


 このような場に出向く事だけでも不慣れだというのに、テレビでしか見た事がないような顔ぶれがそろい踏みの上、そんな彼らを収めようと忙しなくフラッシュを焚いているマスコミ達の様子に気圧されしたのか、ミチは顔を強張らせて立ち止まってしまった。


「ご、ごめん……。何か、場違い感が半端なくて」

「そういや『Full Moon』に来た時もお前、そんな感じだったな」

「やめてよ、あの時とはスケールが違いすぎるから」


 せっかく美しいドレスとメイクでそれなりの見映えになっているというのに、肩を縮こませて委縮してしまっている様はやはり可哀想だ。どこか隅の方に連れていって座らせておくかと拓海が思った時、それまで少し離れて様子を見守っていた松永がすっと太い腕を差し出してきた。


「私の腕に手を回して下さい、加賀野井様」

「え……」

「私は佐嶋家の執事として顔が知れています。その私と共にいれば、無粋な詮索すら受ける事もないでしょう。加えてこの腕に捕まっていて下されば、具合が悪くなられてもすぐに対処致します」


 松永の提案に、拓海はぐっと言葉を詰まらせた。さっきまで浮かれた事ばかり言っていたミチだったが、やはり一般的な感性しか持ち得ない人間だ。現実にこんな大規模なパーティーの場を目の当たりにして緊張するなという方が酷だろうし、そのせいで気分が悪くなる可能性は大いにある。それをすぐに見越して発言した松永の先見が、拓海にはなかった。


「いいのかよ、あんたにだって仕事はあるだろ」


 暗に、ミチなら俺が面倒見るとばかりに言ってのけたが、松永が言った後では効果が薄く、自分でも負け惜しみのように聞こえる。そして案の定、松永は「いいや」と首を横に振ってきた。


「差し当たって、今の私に急ぐ仕事はない。加賀野井様には私がついているから、お前は智広様の側にいて見守って差し上げろ」

「は?」

「今回のパーティーの趣旨は聞いているな?智広様にとっては大きな晴れ舞台で、ずっと平気そうに振る舞われているが、心中は加賀野井様の比ではないはず。だが、お前がいるというだけで、智広様は千人力を得るんだ」

「……」

「何もしなくていい。ただ、見守っていろ」


 そう言うと、松永はラウンジの中でも一番目立つ大きなステージの壇上を指差す。そこには一つのマイクスタンドがすでに用意されており、主催者の登場を今か今かと待ちかねていた。


「……本当に、何もしないからな」


 吐き捨てるかのようにそう返すと、拓海はそのステージの方へと向かっていく。その後ろ姿を見送った後でミチが「何かすみません、いろいろ……」と謝ると、松永は彼女の腕を優しく取りながら答えた。


「大丈夫です。だが、本当に面倒くさい男ですね」

「子供の頃から、ああなんです。どうも素直じゃないっていうか」

「ええ、綾子様とそっくりです」

「綾子様?」

「あいつの母親です、まるで生き写しだ」


 懐かしむように両目を細める松永の切ない表情を、ミチはじっと見つめていた。

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