第99話
「もう、全然素直じゃないんだから! だいたいね……」
「あ、あの……」
まだ言い足りなかったのか、さらに口を開こうとしたミチの言葉を今度は智広が遮った。そっちにちらっと顔を向ければ、智広は拓海とミチの顔を交互に見つめている。
そして。
「あの、あなたは……誰ですか?」
ミチの方に顔を止めると、とても不安そうにそう尋ねてきた。
「ぼ、僕は佐嶋智広と申します。兄さんの二歳下の弟で、その……」
まるで小さな子供のようにおどおどと話してくる智広のその様子に、拓海は違和感を覚えた。確か、病院で俺とぶつかった時はものすごくていねいに、それこそ社長然とした態度で話していたくせに……?
「大丈夫、話はちらっとだけど拓海から聞いてるから知ってます」
だが、ミチはそれには気付かないというより、全く意に介さないといった感じで智広と会話を始めた。
「あたしは加賀野井ミチです。拓海とは同じ施設で育った仲で、まあ家族みたいなものです」
「家族……」
ミチの言ったその言葉を、智広はゆっくりと反芻した。噛みしめるように、それでいてどこか寂しそうに……。
そんな智広を見て、拓海は思わずちっと舌打ちをした。だから、お前のそういうところが嫌だってんだ。これみよがしに、傷付いたふりをしてみせるのはやめろ。
「おい、おっさん」
拓海は軽トラックの荷台から、先に手押し台車を下ろすと、それにロマネ・コンティ十本が入った木箱をゆっくりと乗せた。
「ついでだし、ミチも入りたがってるから、船の中までこいつを運んでやる。どこまで持っていけばいい?」
「今夜一晩、この船のラウンジのみを貸し切ってある。そこでパーティーをするから、ひとまずその奥のキッチンまで頼む」
「はいはい、行くぞミチ」
ミチの返事を聞かずに、拓海はわりと幅の広い搭乗デッキに向かって台車を押していく。重さがある為に、ほんのわずかギイギイと軋むタイヤの音は、ミチや智広の耳にも届いていた。
「……いいんですか?」
窺うように、そうっと智広の顔を見つめる。そんなミチに、智広は当然とばかりに笑いかけた。
「もちろんです。元々、ワインのお礼に兄さんを招待するつもりだったんですけど、兄さんの恋人であるあなたも同義です。よかったら、パーティーにも出て下さい」
「え? 恋人ぉ!?」
「え?」
ドレスなら、すぐに用意しますからと続けたかった言葉は、ミチの心底おかしいとばかりの笑い声に遮られた。少し上半身を折り曲げてあははっと笑い転げるミチに、智広は何か間違えたのかと不安になる。
「あ、あの……?」
「ヤダなぁ、やめて? あたし、おしりにほくろがあるような男はタイプじゃないの」
「え、それって……」
「あ、拓海の事が嫌いって意味じゃないから。本当に大事な家族。だから、あなたの事も応援します。頑張ってね?」
そう言うと、少し照れくさそうに顔を緩めてから、ミチは拓海の後を追っていく。それを智広はぼうっと見送っていたが、やがて松永から「智広様」と声をかけられた。
「メモをお早く。せっかくの出会いをまた忘れてしまいますよ」
「あ、そうだね」
智広は急いで胸元から手帳とボールペンを取り出し、文字を走らせた。
『かがのいみちさん、女性』
『兄さんの家族』
『優しい人。僕を応援するって言ってくれた』
『兄さんのおしりの事を知ってる』
『うらやましい』
『僕も兄さんの事、何でも知りたい』
走り書きでそのような事を綴っていく智広を、松永は背後から悲しそうに見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます