第97話

ていねいに木箱を軽トラックの荷台に積み、小一時間ほどかけて指定された港の波止場に着いてみれば、そこにはまばゆいほどに白い光沢をまとった豪華客船が王の威厳を放つかのごとく停泊していた。


 とても一晩だけのパーティーの為に使われるとは思えないほど、立派な造りだ。何階建てか分からないほど客室の数が多かったし、波止場から見上げるだけでははっきりと見えなかったが、甲板には青色に輝く大きなプールの水面がきらめいている。


 運転席から降りたミチは豪華客船を見上げた格好のまま、はあ~と庶民めいたため息を吐く。こんな事なら、もう少しいい服を着てくればよかった。そう思いながら、少しくたびれた自分のポロシャツをうらめしそうにつまんだ時だった。


「……時間通りだな」


 ふいに声が聞こえてきて、そちらの方に目を向ける。その視線の先は豪華客船の搭乗デッキへと繋がっていて、そこから松永がカンカンと一定のリズムで足音を立てながら降りてくるところだった。


「それで、ワインは?」

「そこの荷台にある。賢哉さんが厳選した最高級のロマネ・コンティ十本だ、しっかり確認しろ」


 拓海が親指を軽トラックの荷台に向けて指すと、すかさず松永はそちらへと向かう。軽トラックのほろの中へ顔を突っ込み、手の届く範囲に置いてあった木箱の箱を慎重に開ける。その直後、彼の口から驚嘆の息が漏れた。


「確かに、最高級だな」

「賢哉さんと、あのばあさんに感謝しとけよ」


 ほら、と拓海は懐から請求書を取り出して、松永の胸元に押し付ける。先ほど『Full Moon』を出る際、賢哉から預かった物だった。


 松永が請求書に目を通してみれば、宛名は智広となっているし、記載されている金額も相当なものになっていた。


「あいつに払わせろって、賢哉さんから伝言だ」


 拓海が言った。


「いい稼ぎしている社長さんが、年配のか弱い女性に大金出させるんじゃねえよとも言ってたぞ」

「……それについては、智広様も反省していた。しかし、まさかトメさんがあのような行動に出るとは」

「知ってて、この間送ってきたんじゃねえのか?」

「何も聞かされていなかった。そもそも、私は昔からトメさんに弱いんだ。智広様と同様に逆らえんし、頼まれて断り切った記憶などない」


 拗ねたかのように拓海から顔を逸らす松永が、ほんのわずかな間だけ見た目よりもずっと幼く見えた。それこそ、反抗期真っ盛りの中学生くらいに。


 おいおい、それはないだろと拓海は緩く首を横に振る。どう見たって四十路前のおっさんだぞこいつは。何でよりにもよって、中学生に見えるってんだ。


 さて、用事も済んだ事だしと、拓海はまた豪華客船を見上げているミチに「おい、帰るぞ」と声をかける。ミチは途端に不満げな声を出した


「え~、もう? ワイン運ぶ口実に、ちょっとだけ中に入れない?」

「何でそうなんだよ。このおっさんに渡しとけばいいだろ」


 これからすぐに帰って、出勤の準備をしなくては。土曜日の晩などホストクラブが一番熱くなる時間だ。今日も頑張って稼がなくては、と拓海が思った時。

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