第92話
「……美也子様を知ってるのか?」
ついそのように食い付いてしまい、拓海はバツが悪くなって思わず視線を足元に落とす。それに気が付いたかは分からないが、トメは「ええ」とすぐに答えた。
「何度か佐嶋グループ主催のパーティーでお見かけしまして。相変わらず派手な豪遊をなされます事」
「そうだな、烏龍茶しか飲めないあんたとは大違いだ」
「そうですねぇ」
うふふっとどこか嬉しそうに笑うトメの顔も見られなくて、拓海はぷいっとそっぽを向く。こういうのは笙が適任だ。
案の定、人懐こい笙がトメの持っていたメニュー表を覗き込みながら話しかけていた。
「トメばあちゃん、こんな時間に食うのも体に悪いからサラダとかはどう? といっても、シーザーサラダくらいしかないけど」
「笙様は本当にお心遣いのできる優しいお方ですね。亡き旦那様の若かりし日の頃を思い出します」
「ちょっ……ヤダなぁ。俺、ホスト界の
あっはははと、屈託なく響いた笙の笑い声は、ちょうどシャンパンタワーのコールが終わった紫雨達の方にも届いてしまったようだ。ほんのわずか、嫌な空気が流れたのを感じた拓海が顔を戻してみれば、女社長の相手をしながら笙をにらみつける紫雨がいた。
「……ホスト界の
紫雨の取り巻きである若いホストの一人が、嫌味たっぷりの口調でそう言ってのける。それを聞いて、紫雨は何も言い重ねてこない代わりに思いきり口元に弧を描いた。
「あらあら、そんな可哀想な事言っちゃダメよ」
相当酔っているのか、女社長もおもしろそうとばかりに話に乗っかってくる。そして、ずいぶんとバカにするような目を向けながら言ってきた。
「まだまだ垢抜けてない坊ちゃんホストじゃ、いつまでたっても底辺のままよ。紫雨みたいに、もっと男を磨かなきゃね?」
「拓海さんみたいに、の間違いだろ」
少し強い口調でそう言い返した笙のその態度に、フロアの空気がざわりと揺れた。
ホストも所詮は接客業の一種だ。キャラ作りの一環として、ある程度の砕けた口調やオラオラ営業と呼ばれるような少し荒ぶった感じの態度を見せる事くらいは黙認されているものの、客に――とりわけ太客の言動に対して反抗的になるのは、さすがに許される事じゃない。
そんな基本的な事、入店してすぐに教えたはずだろうと拓海は笙を振り返る。笙は、まっすぐに紫雨と女社長の方を見つめていた。
「男の完成度を言うんなら、拓海さんの方が断然上っすよ。なのに、簡単に紫雨さんに乗り換えとか、あんた見る目なくないっすか?」
さらに挑発的な言葉を返す笙に、女社長の短い導火線はあっという間に燃え尽きたようだ。持っていたシャンパングラスを叩きつけるようにテーブルに置くと、ボックス席から立ち上がった。
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