第83話
「ごめん、先生。慌てて来たから、今はこれだけしか用意できなかったけど」
祐介の病室に着くなり、拓海はそう言って胸元から分厚い封筒を取り出して彼の手に握らせた。
およそ触れた事すらないその厚みに驚き、祐介は慌てて押し返そうとするが、発作で弱っている上にその手首をぎゅっと強く握りしめてきた拓海の力には到底敵わなかった。
「拓海、いくらなんでもこんな大金は借りられない」
「貸すんじゃない、使ってくれって言ってるんだ」
「だったら尚更、受け取れん」
「何でだよ。奥さんもミチも、子供達だって皆心配してるのに」
拓海の後ろには、はらはらと様子を見守る亜希子がいる。子供達の夕飯の支度があるだろと、ミチを帰しておいて正解だった。こんな所を見せたら、また絶対泣くに違いないと拓海は思った。
改めて、ベッドに横たわっている祐介を見た。
いつのまに、こんなに老けてしまったのだろう。自分が子供の頃は、もっと大きくて頼りがいがあって丈夫そうに見えたのに。今はどこかひと回り小さくなって、少し痩せてしまったように見える。点滴の管に繋がれているこの腕も、ここまで細かったか……?
そんな事を思っていた時だった。
「これは、自分の将来の為に使いなさい」
ぴしゃりと、強い口調だった。その言葉にはっとして顔を上げてみると、そこには拓海をじっと見つめている祐介の姿があった。
「拓海。今まで本当にありがとう」
祐介が言った。
「これまでずっと甘えっぱなしだったな。でも、これ以上はダメだ。お前は『太陽の里』を出たんだから、これ以上無理に働いて資金援助なんてしなくていい」
「無理だなんて、そんな事ない。いつも言ってるだろ。先生や奥さんが俺にしてくれた事に比べたら、霞みたいなもんだって」
「親が子供に尽くすのは、当たり前の事だ。私達は何も特別な事などしていない」
「……」
「そんな顔をするな。大丈夫だ、明日には退院する。またバリバリ働くさ」
その言葉に、亜希子が「あなた!」と戒めるように声をかけるが、祐介はそっぽを向いてそれには応えなかった。
ダメだ。こうなった先生は頑なで、誰の言う事も聞こうとしなくなる。そんなのは、ガキの頃から分かっていた事だったのに。
「……ダメだ、そんなの。俺はまだ、親孝行してないんだから」
出勤時間が迫っていた。もうそろそろ『Full Moon』に行かなければならない。あと少しで売上総額が紫雨を追い抜く。ここでまた休む訳にはいかないし、また改めて金を用意する必要もある――。
拓海は亜希子を振り返って言った。
「奥さんは先生についてて。『太陽の里』はしばらく俺とサチでやってくから」
「拓海……」
「この金は置いてくから、入院費に使ってくれ。仕事があるからもう行く」
「……」
「先生、ちゃんと養生してくれよ」
拓海も祐介の方を見る事なく、足早に病室を出ていく。そんな拓海に、祐介の「親孝行と言うのなら、一度くらい『父さん』と呼んでくれないもんかね……」と呟く声は聞こえていなかった。
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