第82話

「……先生が!?」


 それは、拓海が仕事に復帰して三日目の事だった。


 この日もいつも通りに起床し、シャワーを浴びた後で軽めの食事をとった。そして、そろそろ着替えて出かけようかという頃合いになって、拓海のスマホが着信を知らせてきた。液晶画面に浮かんでいるのは、ミチの名前。


 こんな時間にかけてくるなんてどういうつもりだといぶかしみながら、通話ボタンをタップする。そのままスピーカーモードに切り替えて適当に話を聞き流すつもりだったが、ミチの慌てる声が父親の名を口にしたとたん、そうもいかなくなった。


『うん。心配かけるから、拓海にはまだ知らせるなってお義父さん言ってたんだけど』


 スピーカーの向こうから、ぐすっと涙ぐむサチの声が響いてくる。とにかく落ち着けと言ってやるものの、拓海の心臓もものすごい速さで波打っていた。


 ミチの話はこうだ。昼頃、夕飯の買い出しに出かけていた新藤祐介は、出かけ先のスーパーで突然倒れた。二度目の心筋梗塞を起こしたのだ。


 幸い、周囲の人々の素早い対応ですぐに救急車が呼ばれ、病院で適切な処置を施されたおかげで大事には至らなかったが、二度目という事態も鑑みて、以前よりも長い入院が必要という事になった。だが、祐介はそれを良しとしないという。


『今すぐ帰るって言って、お義母さんの言う事も聞いてくれないの。たぶん、入院費の事が心配でそんな事言ってるんだと思うけど、無茶だよ……』

「当たり前だ。絶対に先生から目を離すな。これ以上無茶したら、本当に」

『うん、分かってる。私だって、お義父さんにはもっと長生きしてほしいもん。なのに……』


 我慢が効かなくなってしまったのか、ここでついにミチはわあっと大声で泣きだしてしまった。その泣き声を聞いて、思わず拓海も唇をぎゅっと噛みしめる。


 先生が入院したがらない理由は分かっている。ただでさえ経営が難しくなってきているのに、自分の病気の為にこれ以上の金銭的負担をかけてしまったら、『太陽の里』が潰れてしまう。子供達が路頭に迷ってしまうと心配なのだろう。


 でも、だからといって、先生が死んでしまったらそれこそ本末転倒だ。『太陽の里』は、先生と奥さん二人が揃って初めて成立する素晴らしい場所なんだから――。


「先生は、金の事が心配で入院が嫌だって言ってるんだな?」


 再度確認するかのように、拓海が尋ねる。スピーカーの向こうでミチが「うん、はっきりとは言わないけど……」と力のない声で返事をすれば、拓海はスマホの側にあった財布を手に取り、その中のキャッシュカードを確認しながら言った。


「病院どこだ? 今から行く」

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