第78話
拓海が完全復帰したという情報は口コミであっという間に広がっていき、開店から二時間も経たないうちに『Full Moon』は久々の満員御礼となった。
大半が拓海からの連絡を待ちわびていた常連や太客だったが、それ以外にも新規客がちらほらやってきては指名してくれるので、おかげで先ほどから拓海はずいぶんと忙しい。シャンパンを一口飲んで十五分ほどしゃべったら、また次のテーブルへとなかなか落ちつけない有様だった。
こんな時、後輩ホスト達の存在が本当にありがたい。紫雨は彼らを犬扱いしているが、拓海にとっては貴重な戦力だし、自分には持ち得ないスキルを駆使して待たせている客を和ませてくれる。
例えば笙など、一言で言えば母性本能をくすぐらせる「健気系」というべきか。
「俺ね、田舎に母ちゃんとばあちゃんがいるんだ。俺が頑張れば頑張った分だけ二人に仕送りできるし、自分の夢に向かって頑張れる。その二つを応援してくれるきれいなお姉さん達には、マジ感謝しかないっす!」
ホストである以上、多少なりとも嘘を用いて客に金を落とさせるのが常套手段であり、逆にそれをためらうようならこの世界には向いていないと言えるだろう。拓海だって、新人の頃はその教えに従って、今思えば自分でも引くようなつまらない嘘を並べ立てたものだ。
だが、笙はバカ正直にも自分の身の上を全く隠す事なく、ごくごく普通に話す。しかも同情を誘おうとか、そんな気はさらさらないのが見てすぐ分かるほど屈託だ。それがウケたのか、笙を気に入って指名してくる客も少しずつ増えてきた。
もしかしたら、あいつ化けるかもしれねえなと、つい先ほどまで自分がいたテーブルで客達と笑っている笙を覗き見ながらそんな事を思っていると、スタッフがまた拓海の事を呼びに来た。
「拓海さん。次のテーブルご指名です」
そのとたん、それまで拓海の腕に甘えるようにしがみついていた常連のホステスが「え~っ⁉」と不満顔を浮かべる。拓海はすみませんと、その手をやんわりと外した。
「またすぐ戻ってくるよ。何なら、次の休みにそっちのお店に行ってもいいし」
「ほんと? じゃあママに話しとくね、拓海なら一晩貸し切りでもいいって言ってくれるよ」
「期待してる」
それじゃあ、と軽く手を振って、拓海は次のテーブルに向かった。スタッフの話だと、次に待っているのは新規の客で、二時間の飲み放題コースを注文しているとの事だった。
「一時間ほどお待ちいただいておりますので、次のご注文をお聞きしますか?」
「俺が出すから、フルーツ盛り合わせとサーモンカルパッチョを頼む。さすがに待たせすぎちまってるからな」
お詫びをしないとと続ける拓海の言葉に、スタッフがすぐさま奥へと走っていく。その背中を見送った後で、拓海は促されたテーブルまで進んでいき、そこのソファに座っている客に深々と頭を下げた。
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