第61話

「……ほら、ここで休んでけ」


 ふらふらの智広を連れて更衣室に入っていくと、笙が言われた通りの準備をして待っていた。それを見た拓海は笙に労いの言葉をかけようとしたが、すぐ隣で「うっ……」と呻く声を聞いて、心底焦る。ソファに座らせようとしていた智広の顔色が真っ青だった。


「おいっ……、これに全部吐けっ!」


 慌てて笙が持っていたバケツを引っ掴み、智広の顔の下に持っていく。その直後、智広はさらに呻いた上でたまっていたシャンパン混じりの胃液を吐き出した。


「ぐっ、うえっ……!」

「ああ、そうだ。全部吐いちまえ、遠慮しなくていい」


 ぜいぜいと苦しそうに上下させている智広の背中を、拓海はゆっくりとさすってやる。そんな二人の様子を、笙は冷やしタオルとミネラルウォーターが入ったペットボトルを持ったまま、おろおろと見つめていた。


「……ど、どうしますか? 賢哉さんに電話します?」

「電話したところで、すぐに帰ってこられる訳じゃねえだろ」


 そもそも、どう説明したらいいのか分からない。自分のいない間に、紫雨が勝手な事をしたと端的に言えばすむかもしれないが、奴の事だ。それなりに適当な理由をつけて、のらりくらりとかわされる可能性が高い。


 それに、例え紫雨が始めにそそのかしたとしても、最終的に体験入店をする事を決めて、シャンパンのラッパ飲みも承諾したのは智広だ。二十二歳というれっきとした大人である以上、その行動に伴う責任は自分で想定し、負うべきところは負うべきだ。


「このバカ野郎が」


 笙に向けていた視線を再び智広の背中に戻しながら、拓海は話しかけた。


「何であんな無茶をやった? あれはな、それなりに値段も度数も高い。昨日今日飲み始めの奴がイッキなんてしていい代物じゃねえんだよ」


 本当なら、もう一発くらいそのまぬけな頭をはたいてやりたかったが、しこたま吐き続けている者にそんな仕打ちをするのも酷かと思い、智広からの返事を待つ。


 智広は相変わらずぜいぜいと苦しい息遣いを繰り返していたが、やがてすっかり出し切ったのか、「だって……」と言いながら、抱えていたバケツから少し顔を上げた。


「兄さんが、どんな所で、どんなふうに働いてるのか、知りたかったんだ……」


 ゆっくりと、途切れがちにそう言う智広。それを聞いて、拓海は眉をしかめながら「はぁ?」と怪訝けげんな声を出した。


 さっきからこいつは何を言ってるんだ? 俺がどう働いてるかだって? これまで何度か『Full Moon』に来ておいて、まだ分かってなかったとでも?


 これは相当酔いが回ってきてるなと、拓海の口から呆れた吐息が漏れた。


「それで? どう思ったっすか?」


 興味が湧いたのか、笙が手の中のペットボトルを差し出しながら尋ねてきた。余計な事を聞くなとアイコンタクトを送る拓海だったが、笙がそれに気付く前に、ペットボトルを受け取った智広は弱々しく笑いながら答えた。

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