第58話
頬に大きなガーゼを宛がったまま夜の街へと行くのは気が進まなかったものの、ひとまずカジュアルスーツに着替えた拓海は、その足でまっすぐ『Full Moon』へと向かった。
確か今日、賢哉は休みだったはずだ。二日ほど有休を取って、どこかの珍しい高級酒を手に入れてくるとか言ってなかったか。そして拓海も休みとなれば、今日の『Full Moon』はNo.2ホストの紫雨が全体を仕切る事となっている。
紫雨もやがては独立をと考えている男だ。あと何年もしないうちに『Full Moon』を辞めて、自分の店を構える事だろう。実際、それだけの資金も実力も手に入れている。
そんな立ち回りの上手い紫雨が仕切っている中で、何の問題が起こっているというのか拓海には分からなかった。仮に何かしらのトラブルが起きているにしても、あいつならさらりとかわしてあっけないほど容易く解決できるだろうに。
電話をかけてきた笙の声色がずいぶん焦っていた事を思い出す。最悪の事態が起こっていたにしても、せめて警察沙汰にはならないよう、何とか事を収めなければ……。
そう思いながら、拓海が『Full Moon』の入り口ドアを勢いよく開けた時だった。
「そぉれ! イッキ、イッキ、イッキ、イッキ!!」
「いっちゃうよ、それいっちゃうよ! お嬢の為にいっちゃうよ!!」
フロア内に響いていたのは、久々に聞くコールだった。拓海が新人の頃から使われているそのコールは、シャンパンを二本以上入れてもらえた時に行うものだ。一本は普通に開けてグラスに注ぐが、残りは新人のホストにラッパ飲みをさせるというパフォーマンスを取る。
拓海がNo.1になってから、このパフォーマンスは極力やらせないようにしていた。一時盛り上がりはするだろうが、店に勤め出してまだ間もない新人の体を著しく壊す事に繋がりかねないし、何よりホストという職にふさわしくないと考えていたからだ。
ホストクラブは、訪れる客に最高のもてなしを施す所だと拓海は考えている。自分達にできる最大限の接待術を駆使し、夢のような時間を過ごして楽しんでいってもらう場所。決してそこらの安い飲み屋のようにみっともなくバカ騒ぎをして、情けない姿を晒していい場所ではない。
「くそ、紫雨の奴……」
おそらく、このコールは紫雨の客へのものだろう。フロアの一番奥まった席の方を見てみると、そこにほぼ全てのホスト達が集まり、他の席の客達をほったらかしにしている。その事にもいらだって、拓海はつかつかと足を速めた。
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