第55話

よほど無理矢理手伝わせた事に納得がいかなかったのか、あれからしばらくの間、ミチはわあわあとやかましい事この上なしだった。


 そんな彼女を何とか宥め倒して『太陽の里』へ帰したのは、もう夕方にも近くなった時間帯だった。いつもならこの時間に起床し、出勤前に軽い食事をとるという生活スタイルである為、例にもれず拓海の腹はみっともない音を鳴らした。


 最初はそんなつもりなどなかった。腹を満たすだけなら、別にその辺のコンビニで適当に見繕えばよかったし、たまには一人ファミレスも悪くないとさえ思っていた。なのに、そのラーメン店に足が向かったのは、道を覚えていたからとか、図書館からほど近かったという理由だけじゃ、きっと足りない。


「……へい、らっしゃい! て、あれ? あんた、佐嶋君の兄さんじゃん!」


 昼休憩を終えて、夜の営業を始めたばかりのラーメン店の入り口の暖簾をくぐれば、すっかり顔を覚えられてしまったのか、厨房の中の店主が嬉しそうな声を出して出迎えてくれた。


「何だ、お一人かい? 佐嶋君抜きで来たって事は、そんなにうちのラーメン気に入ってくれたってかぁ~?」


 うひひっと笑いながらそう言ってくる店主の言葉に、そこは素直に頷いた。智広に連れてこられたのがきっかけというのは少々気に入らないが、確かにこの店のラーメンはうまい。少なくとも、もう一度食べたいと思ったほどに。


「チャーシューメンのセットを一つお願いします」


 まだ他に客のいない店内を一通り見渡した後で、拓海はカウンター席に腰かけながら注文する。店主は「あいよ!」と気持ちのいい返事をして、厨房の奥へと戻っていった。


 数分もしないうちに、厨房からカウンター席へと響くように調理の音が聞こえてくる。だが、先日と違ってあまり手際が早く感じられないのは、やはり息子である彰人の姿が見えないからだろうか。


「今日、息子さんはいないんですか?」


 少し大きな声を張って、厨房の方へと話しかける。すると、中華鍋で炒飯を振っていた店主はひょこっと顔だけを突き伸ばしてきて答えた。


「ああ。うちのバカ息子なら、今はちょっと買い出し行ってもらってますわ。いつまで道草食ってやがんだ、あの野郎。あ、もしかしてあいつに何か用があって……?」

「ええ、まあ」


 曖昧に答えて、拓海は店の入り口の方へと視線を向けた。


 買い出しに行ったというのなら、いくら遅くても自分が食事を終わらせてしまう頃までには帰ってくるだろう。それまで、聞きたい事をいくつかまとめておくか……。


 そこまで考えたところで、「はい、お待ちどう様」と店主がチャーシューメンのセットを手渡してきた。相変わらずシンプルな見た目のチャーシューメンと、隠し味にニンニクを使っているのか実に香ばしいミニ炒飯は、拓海の腹の虫をまたみっともなく鳴らした。

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