第48話

『……ごめん。本当にごめんな、拓海』


 明け方に差しかかろうとする頃、拓海は夢を見ていた。


 ずいぶんと物騒な夢だった。シャツやらズボンやらを血まみれにした一人の少年が、右手に大きな包丁を持ったまま、こちらに近付いてくる夢だったのだから。


『ごめんな、拓海。つらい目に遭わせて』


 背丈から見て中学生くらいだろうか。しかし、何故か視界がとてもぼやけていて、少年の顔がはっきり見えない。それでも、彼が悲痛な声で拓海の名を呼び続けている事だけは分かった。


『俺だって、本当はこんな事したくない。でも、こうしなくちゃいけないんだ。でないと、お前もあの人も……』


 少年は拓海のすぐ目の前に立ち、。右手の中の包丁も血で染まっていて、拓海はぼやけた視界の中、それをじいっと


『本当に、ごめんなっ……!』


 やがて、少年の右手から力が抜けて、包丁がするりと落ちていく。カシャンッと独特な音を立てて、包丁は床に転がった。


『拓海……!』


 少年の、まだ伸びきっていない血まみれの両腕が拓海を思いきり抱きしめた。生臭い赤色が気持ち悪いはずなのに、拓海は嫌悪感を抱くどころかおとなしくされるがままになる。いや、むしろほっとさえしていた。


『俺が皆を守るから』


 少年が、拓海の肩に顔を埋めるようにして言った。


『俺がお前も、あの人も、今度生まれてくる子も、皆守ってみせるから。そして、いつか必ず……』


 そこで一度言葉を切り、少年は拓海をもう一度強く掻き抱く。夢の中なのに、何だか温かく感じられた。


『必ず、――――がお前達を守るからな』







 とても大事な事を言われたような気がするのに、そこで拓海は目を覚ましてしまった。


 両目を開けると同時に、バネのようにベッドの上で跳ね起きた。心臓の鼓動が異様なほど速くなっていて、息遣いも寝起きのものとは思えないほど荒々しくなっている。


「何だ、今のは……」


 ただの夢と笑い飛ばすには、あまりにも生々しい。常ならば、すぐに忘れ去る事ができる類のはずのものなのに、夢の中で少年に抱きしめられた感覚がまだ全身に残っている。


 あんな中学生、知らないはずなのに……。


 いったい誰なんだと、拓海は息を少し整えて、何とか思い出そうとする。だが、彼の最後の言葉とその顔はついに出てくる事はなかった。

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