第47話

「食わねえのかよ」

「僕はいいよ、そんなにおなかすいてないから。それより」

「あ?」

「兄さんの食べ方、すごくきれいだよね。見ていて気持ちいいよ」


 智広からそう言われて、拓海は彼が自分の手元を見つめている事に気が付いた。


 何を言ってんだ、こいつと素直に思った。


 そこまで言われるほど、大して立派な食事作法を取っている訳じゃない。ごくごく普通だ。大体、何で今初めて見ましたみたいな言い方をする? この前、強引にラーメン屋に連れて行ったのはどこのどいつだ?


「こんなん、普通だろ」


 ひと口分、うどんの麺を噛み切ったところで拓海が言った。


「でも、そう見えるってんなら、俺は先生や奥さんに感謝すべきなんだろうなあ」

「先生? 奥さん?」

「俺を養子縁組してくれた、育ての両親だ」


 また、智広の肩がビクッと揺れる。それに気付いたものの、拓海はあえて無視して言葉を続けた。


「今の俺があるのは、その二人のおかげなんだよ。二人がいたから、俺は何不自由なく今まで生きていく事ができた。俺がホストをやってんのも、二人に恩返しをする為の金を稼ぎたいからだ」

「……」

「お前、さっき言ったな? 俺に幸せになってほしい。自分の幸せを返しに来たって」

「うん」

「だったら、もうはっきり言っておく。お前のその考えは、俺にはこの上なく余計なお世話だ」

「え……。で、でも」

「それとも、何か?」


 きれいに持っていた右手の箸を、いったんテーブルの上に置く。そして正面に座っている智広をじろりと見据えて、拓海は決定的な言葉を言った。


「お前は、俺が不幸でないと気が済まねえのか? だったら、なかなかの侮辱だな」

「ち、違う! そんなつもりは!」


 心外とばかりに、智広は少し大きな声を出す。どうして拓海がそんな事を言ってくるのか、まるで分からないとばかりな必死さだ。


 ふうっと小さく息を吐くと、拓海は再びうどんに手を付ける。それから一切目を合わせる事はなかったが、智広はやがて落ち着きを取り戻したのか、また懐から手帳を取り出して何事かを書き込み出した。


 拓海がうどんを食べ終えても、智広のペンを持つ手は止まっていなかった。拓海は丼を軽く流水で注ぐと、そのまま浴室の方へと足を向けた。


「新品の下着をくれてやるから、俺の後に入れ。あと、お前はリビングで寝ろ。もう声をかけてくるんじゃねえぞ」


 智広が返事をしたかどうかは、分からなかった。

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