第38話

先日、笙が拓海に見せてきたのは、彼の大学で定期的に配布されている就職活動用の資料の、ほんの一部のものでしかなかった。


 だが、その会社グループ名は日本人なら誰もが一度は耳にした事があるはずだ。


 毎年公表されている長者番付の一覧では当たり前のようにトップに座しているし、社会へもたらしている貢献度はとてもひと口では語れない。分類問わず、様々な事業を総括しているこのグループの巨大さに比べれば、拓海がこれまで培ってきたものなど霞にほど近いと捉われても仕方ないだろう。


「そりゃあ、美也子様もビビる訳だ。彼女の会社は、確か佐嶋グループの傘下だもんな」


 そう言って、拓海は智広から離れた位置に座る。それを見て智広はすぐに開いた位置を詰めようとしたが、またじろりとにらんできた拓海の圧に押されて動けなくなった。


「こんな小細工までして、どういうつもりだ?」


 拓海の人差し指が、クリスタルテーブルの上の経済情報誌を指差す。智広はそこと自分の手の中にある手帳を交互に見つめてから、ゆっくりと答えた。


「……う、うん。取材を担当してくれた人、朝比奈さんっていうんだけど、彼女は父さんの代からの付き合いで。それで、兄さんの事を知ってもらいたくて」

「おい、まさかあの記者にもあんなふざけた妄言を」

「う、ううん。まだだよ。僕がもっと兄さんの事を知ってから、改めて兄弟として取材を受けようと思ってて」

「お断りだ。二度とこんな真似するな」


 心底迷惑だと言わんばかりの冷たい口調に、智広の顔がくしゃっと歪む。それに対して、拓海は罪悪感など微塵も抱く事はなかった。


「俺は、お前の兄貴なんかじゃないからな」


 それどころか、ぴしゃりとそう言い切った。


「何の証拠があって、俺とお前が兄弟だなんて言える? 俺に血の繋がった家族はいないんだよ」

「ぼ、僕は兄さんの弟だ!」

「だから、何の証拠があるって聞いてんだよ。第一、俺とお前のどこが似てるってんだ。こいつとも似てねえしな」


 拓海は、今度は小冊子を指差す。大きなビルの前に立つ二人のうち、一人は智広だ。今よりももっと幼い顔立ちに見える事から、おそらく何年か前に撮ったものだろう。


 拓海の指先は、そんな智広の隣に悠々と立っている男の顔を指していた。強面の上に厳しい表情を貼り付けている、ガッチリとした体格の壮年男性だった。


「これが先代の皇帝エンペラー様か? 本当、全く俺に似てないな」


 例の経済情報誌の献本が届いたのは、つい先刻の事だ。その時はたまたま他のホスト達が手に取る前に読む事ができたのだが、もしかしてという嫌な予感は的中してしまった。むしろ、本当に暇な奴だと少し感心してしまったくらいだった。


「……僕達が似てないのは、仕方ないと思う」


 小冊子にじっと目を向けて、智広が答えた。

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