第35話

「それでは、ありがとうございました。本ができ次第、すぐにこちらへ郵送させていただきますね」


 店内での写真撮影も終わると、由紀子は同行していたカメラマンと一緒に深々と頭を下げて礼を言った。取材の間、ちらほらと客の入りが多くなってはいたものの、特に支障をきたす事なく、きっかり一時間で終了となった。


「いえ、実に有意義な時間でした。朝比奈さんのお話を聞いてたら、俺なんかまだまだガキなんだなと思い知らされましたよ」

「まあ嫌だ、そんな事はないですよ」

「大アリです、夜の世界しか知らない井の中のかわずなんで。雑誌、楽しみにしてます」


 大半はリップサービスのつもりだったが、自分の口で言えば言うほど、実はその通りなのだと思わざるを得なかった。


 十八で夜の世界に飛び込んで以降、他の仕事などした経験がない。そう思うと、自分と対で取材を受けるのはどういう人なのだろうと急に気になった。


「朝比奈さん。今回の記事で昼の取材を受けるのは、どういった方なんですか?」


 好奇心のまま、聞いてみる。だが、由紀子は少し笑った後で「内緒です」と答えた。


「本ができるまで、楽しみにしていて下さい。実は今回の取材も、その方から拓海さんを紹介されたんです」

「え?」


 拓海は思わず首をかしげた。


 いったい誰だ? 確かにこういう雑誌に名を連ねられそうな太客は何人かいるが、どれもこれも口が軽い者ばかりだ。むしろ雑誌の中でも拓海を独占できたと思い至るあまり、サプライズより主張する方を選んでしまうだろう。


「こっちも、だいぶ粘ったんですよ。なかなか取材を受けてくれない方だったので」


 由紀子が言った。


「でも、拓海さんと対で取材してくれるならって条件でようやく。こちらとしても、今話題のホストである拓海さんに迫れましたので、おいしい思いをさせていただきました」


 本当に、ありがとうございました。最後に嬉しそうに言って、由紀子は退店していった。


 あまりにも由紀子が喜んでいたものだから、しばらくの間、拓海はいったい誰だろうと気にかけていたものの、やがて客の入りがピークに達した事でそんな事を思う暇もなくなり、いつしか完全に忘れてしまった。






 それから、一週間も過ぎた頃の事。


 いつものように開店時間前の更衣室で着替えを済ませてくつろいでいた拓海の前に、これまたいつものように汗だくで飛び込んでくる笙の姿があった。


「またギリギリで来やがって……。早く着替えろ、笙」


 いくら母親や祖母を支えたいといっても、まだ二十歳の学生だ。大学との折り合いが難しいのなら、少しシフトを減らすか、せめて遅番に回るかすればいいだろう。


 賢哉に言って、笙のシフトを見直してもらおうかと考えていたら、ぜいぜいと息を切らしながら笙が声を出した。


「た、た、たくっみ……さ……」

「何だよ? 話なら俺もあるけど、今は早く着替えて」

「……こ、これ。これ!」


 そう言って、笙は持っていた大きめの封筒を拓海に押し付けてくる。


 何だと思いながらも受け取り、中を確認する。中身はパンフレットと小冊子のようであり、封筒には笙が通う大学の名前が記載されている事から、おそらく大学のどこかで配布されているものなのだろう。


「これがどうした?」

「中、見て下さいよ!」


 あまりにも必死に笙が言うので、いぶかしみながらも拓海はひとまず小冊子を掴み取る。


 すると、その表紙には、ここ十日ほど姿を見せなくなってせいせいしていた男の顔がアップで載っていた。

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