第34話
「……本日はお忙しい中、お時間を割いていただいてありがとうございます。お仕事中でしょうから、一時間ほどで終わらせていただきますね」
翌日。比較的客足が少ない時間帯を指定しておいた通り、『Full Moon』に三十代と思しき一人の女記者がやってきた。
幸い、彼女が来た時点で拓海の指名はまだ入っておらず、ボックス席の側で佇むようにして待っていた拓海は、「よろしくお願い致します」という言葉と共に差し出されてきた名刺をゆっくりと受け取る。そこには、
「よろしく、朝比奈さん」
ホストとして見せる最大限の笑みを浮かばせながら、拓海は彼女をボックス席へと促す。その、あまりにも自然で優雅な仕草に由紀子は「お上手ですね、さすがです」と素直な褒め言葉を放った。
続けて拓海が腰を下ろしたのを見ると、由紀子はさっそく今回の取材のコンセプトを説明し始めた。
テーマは『現代の昼と夜を支える、今の男達』というものらしい。
取材対象となるのは二人。明るい太陽の光の中で働く一人と、夜のネオンの光の中で働くもう一人を対照的存在として比較しつつ、同じ問答を投げかける事で、それぞれのポリシーや人生観などを掘り下げていくというのがメインだ。
当然、拓海は夜に働く者として白羽の矢が立てられた。お堅い経済情報誌だから、どのような取材になるのかと少しばかり緊張していたのだが、由紀子は実にてきぱきと順序立ててインタビューを進めていく。
小難しい話もいくつかあったものの、拓海は何とかそれに応える事ができていた。クイックアンサーが必要だろうとは思っていたが、下手を打てない分、以前のグラビア撮影の方がまだ気楽だったかもしれない。
そんな事を思っていた時だった。いくつかめの問答を終えたと思ったら、ふいに由紀子が持参していた大きめのカバンから一冊の雑誌を取り出してきた。
「そういえば拓海さん、こちら拝見させていただきました。素敵なお写真ですよね」
そう言って、由紀子が見せてきたのは例の女性雑誌だった。思わず、ああとため息混じりの声が漏れ出る。この何週間で、何度客の女達が持ってきて、サインをしてくれとねだられた事か。
「サイン、しましょうか?」
少しおどけるような口調でそう言うと、由紀子は慌てて「いえいえ」と首を横に振る。
「仕事中ですから」
「じゃあ、次はプライベートで来て下さい。お待ちしてますよ」
「ええ、機会があれば」
お決まりの言葉を言いながら、由紀子は雑誌のページをめくっていく。そしてめくる手を止めたところで見えたのは、拓海や女性モデルの半裸姿の写真ではなく、彼のプロフィール欄が記されたページであった。
「では最後に、この質問を」
そこを指差しながら、由紀子が尋ねてきた。
「拓海さんの
「もちろん」
すぐさま、拓海は答えた。
「それこそが、俺のアイデンティティ。俺が俺であるが為のもの。絶対無二であるからこそ、今の俺があるので」
「そう、ですか……」
そう答えた由紀子は、何故かその時、少し寂しそうな顔をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます