第31話

「えっ!? もう⁉」


 子供のように大げさな声をあげる智広に、後輩ホストは苦笑を漏らしながら「延長されますか?」などと聞いている。拓海はそれには構わず、すくっとソファから立ち上がった。


「いや、お帰りだ。お見送りしておけ」

「に、兄さん?」

「ここは酒も飲めねえガキが来る所じゃねえし、俺もそんな奴に構う暇はないんだ。二度と来るな」


 顔も見ずにそう言い、次のテーブルに向かおうとしていた拓海だが、すぐさま聞こえてきた智広の言葉に思わず足が止まった。


「ううん、また来る」

「あ?」

「まだ、兄さんときちんと話できてないから」

「しつこいぞ」

「そうでなきゃいけないからね」

「ガキの頃から、そんなんなのかよ?」

「え?」


 こんな事を聞くつもりはなかった。だが、ふいに昨日の彰人との会話を思い出して、しつこく兄だと言ってくるこの優男に尋ねてみたくなった。


「お前、昨日のラーメン屋の兄ちゃんのあご、ヒビが入るほどしつこく殴った事あるんだって?」


 ふいに言われて、智広はきょとんとしていたものの、やがて理解が追いついたのか一滴もアルコールを口にしていないのに、一気に頬が紅潮した。


「あ、あれはっ! 小学生の時の話だよ! 今はもう仲直りしてるし、それなりに理由もあって……」

「そういうのは心底どうでもいい。だが、こっちは顔も商売道具なんだよ。しつこい上に殴られたら割にあわねえから、退散させてもらうわ」


 もう、これ以上の会話をする気はないと、手をひらひらと揺らしながら離れていく。そんな拓海の背中に向かって、智広は精いっぱいの声を出した。


「兄さん、また来るから!」

「……」

「絶対に、また来るよ!」


 拓海は振り返らなかった。返事もせず、少し離れた位置にある次のテーブルにまっすぐ向かうと、そこで待っていた大学生と思しき若い女三人に「いらっしゃいませ、拓海です」と声をかけた。


「大変お待たせしました。ようこそ『Full Moon』へ」


 いつも通りに挨拶をして、ゆっくりとソファに腰を下ろす。そしてメニュー表を手にしながら、会話のきっかけを掴もうとしたところ、三人のうちの一人がじろじろとした目つきで拓海を見ている事に気付いた。


「どうしたの?」


 待たせすぎてしまったかと少し心配になった。確か、この三人は今日で三回目の来店だったはず。生誕祭イベントには来てもらえなかったが、それぞれがLINEで祝いのメッセージを送ってきた。それに年相応の注文しかしてこないし、さほど面倒な要求もしない楽な客だと記憶している。


 どうした事だと思っていると、彼女はいぶかしむように聞いてきた。


「ねえ。拓海ってさ、経歴詐欺な訳?」

「は?」

「天涯孤独だって言ってたじゃん。そこがカッコよくて魅力的だったのに、弟がいるなんて聞いてないよぉ」


 あたし達が拓海の寂しい心を癒やしてあげたかったのにと、ぶうぶう文句を言い始めた女達に、拓海は頭が痛くなる。ますます智広の存在が疎ましくなった。

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