第19話

「……あっ、拓海さん。お疲れ様っす!」


 他のホスト達が次々と夜の街の方へと消えていく中、一人更衣室に残っていた拓海に声をかけてきたのは笙だった。


 全速力で駆けてきたのだろうが、結局笙が『Full Moon』に来たのはついさっきの事だ。これ以上ないと思えるほど満面の笑みを浮かべた賢哉は、つかつかと笙に近付き、一番薄っぺらい給料袋をその汗だくの顔に突き付けてやった。


「今月の売り上げ最下位はまたお前だぞ、笙。これで三ヵ月連続じゃねえか、もうちょい気張れや」


 本気で怒っている訳ではなく、むしろ激励のつもりなのだろう。そんな賢哉の少し大きな声に、拓海や紫雨を除く他のホスト達は、自分はああなるまいとまた緊張を走らせるのだが。


「うわ、こんなにもらっていいんすか! これで母ちゃんやばあちゃんに仕送りできます、賢哉さんマジリスペクトっす!!」


 売り上げが店の中で最低とはいえ、苦労して大学に通っている二十歳には大金である事に変わりないのだろう。笙は何の遠慮もなくその場で給料袋の封を切ると、中身を見て嬉しそうにはしゃいでいた。


 又聞きではあるが、確か笙は郷里に母親と祖母がいたんだったか。近頃その祖母が入院しがちで、母親のパート代だけではとてもやっていけないから、せめて自分の学費や生活費だけでもと『Full Moon』に来たんだったな……。


 かつての自分と似たような理由でやってきたこの後輩に、拓海は他のホスト達よりも親近感を覚えていた。甘やかしだの贔屓ひいきだのと面倒事を言われたくないので、それをあからさまな態度に出してやる事はないけれど。


「よう、遅刻常習犯。大学の方はもういいのか?」


 昨日、女社長にしこたま飲まされていたのに、今はもうさほど残ってなさそうだ。顔色も悪くない。そんな笙に返事を返すと、彼は照れくさそうに頭を掻いた。


「はい。何とか今年度分の単位は取れそうっす。留年なんて、マジでできませんから」

「まだ二十歳なのに、立派な心掛けじゃねえか。他の奴らなんて、今からキャバ嬢と合コンとか言ってたぜ?」

「それをうらやましくないとか思う訳ないでしょ? 俺だって一回くらいそういうのに出てみたいんですけど、今は母ちゃんとばあちゃんを支えなきゃいけないんで!」


 そう言って、ふんっと荒い鼻息を一つ吐き、心なしか胸を張っている笙に、拓海は小さく笑った。


 本当、こいつは昔の俺と似てるわ。俺もそうやってがむしゃらになってた時期あったな。そのおかげで先生達を支えられてきたんだし……。


 何だか懐かしい気分に浸って、「今度、あんなババアに絡まれてもうまくかわせる秘策を伝授してやるよ」と言ってやると、笙は途端に悔しそうに顔を歪めた。


「そう、あのババア! あのババアのせいで、俺、拓海さんの伝説が生まれた瞬間を見逃す羽目になったんだった! 見たかったっすよ、拓海さんがペルーフィクションを落としたところ!」

「ペルフェクションな。どこの国が作り物だ」


 お決まりのような間違いを正しつつ、拓海は思った。


 自称俺の弟と名乗る訳の分からん男にペルフェクションを落としてもらったなんてふざけた伝説、かわいい後輩に見られなくて本当によかったと。

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