第16話
「どういうつもりだ、営業妨害だぞ!」
掴んだ手に力を込めて、拓海は青年に怒鳴る。きゃあっと短く叫ぶ女達の声と、青年の手から雑誌がするりと床に落ちるのはほぼ同時で。
それを見た松永がすぐさま動こうとしたが、青年は「ダメだ」と声だけで止めた。
「ダメだ、松永」
「しかし、智広様」
「今のは僕が悪い。兄さんの仕事を邪魔したんだから。ごめんなさい、兄さん」
そんなつもりじゃなかったんだけどと続けて、青年は小さく頭を下げる。兄さんという呼称に、拓海の眉間にはしわが寄っていった。
「さっきから兄さん、兄さんって。何だよ、それは」
「だって当然でしょ? 僕はあなたの弟なんですから」
「……は?」
何言ってんだ、こいつ。
「僕は
もう一度、確認するかのように青年――佐嶋智広がそう言う。思ってもみなかったフレーズに、彼の首元を掴んでいた手の力がするりと抜けた。
けほっと小さく咳き込む智広の背中を支えるようにして、松永が手を添える。その際、ずいぶんと非難めいた目を拓海に向けてきたが、当の本人はそれどころではなかった。
「いや、おい。笑えねえ冗談はよせ。俺は天涯孤独で、家族なんて……」
「ここに、目の前にいるよ。兄さん」
自分のアイデンティティの一つであるものをいとも容易く否定する青年に、拓海は混乱した。何言ってる、何を訳が分からない事を何度思った事か。
そんな拓海に、智広は両腕をまっすぐ伸ばしてきた。そして今度は智広が拓海の襟元を掴むと、そこを思いっきり強く引っ張った。かろうじて破けはしなかったものの、限界まで広げられた事で美しく磨かれた肌があらわになる。もちろん、右肩の傷跡も丸見えだった。
「キャアァァァァ!!」
男が男に服を剥かれる事の何がおもしろいのか、女達の興奮した悲鳴が一気に響き渡る。やめろ、何が悲しくて生誕祭の日にこんな目に遭わなきゃならないんだ。つい昼間まで、それなりの多幸感を覚えていたというのに。
「ほら。雑誌でも確認したけど、この傷」
女達の悲鳴など全く耳に入っていない様子で、智広は拓海の右肩の傷跡に注視する。そして、さっきまでの緊張などどこへ追いやったとばかりにすらすらと言葉を連ねた。
「母さんがずっと言ってたんだ。智広の兄さんには、右肩に傷がある。それが目印だから、いつかきっと会えるって!」
母さん。その呼称に、拓海の脳裏は嫌な記憶を浮かび上がらせた。
舞い散る桜の中。
やたら腹まわりの太った女が、幼い自分を置いていく。
右肩の包帯を巻いた、怪我をしている自分を置いて――。
「……帰れ、仕事の邪魔だ!」
智広の両腕を振りほどいて、再び拓海は大きな声を出した。周りはまだ女達の興奮した悲鳴でうるさい。そんな声よりもっと大きく怒鳴ってやろうかと思った時、智広が「分かった」と少し寂しそうに言った。
「いきなり押しかけてきてごめん。今日は帰るよ」
「……」
「二十四歳の誕生日おめでとう、兄さん。お祝いにボトル入れるから、飲んでってよ」
そう言うと、智広はまだ呆然としている賢哉に顔を向ける。そして。
「すみません。兄さんにペルフェクションお願いします」
一瞬後。ホストクラブ『Full Moon』はこの夜一番の大歓声に包まれた。
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