第8話

「これ、今月分」


 そう言いながら、拓海はスーツの内ポケットから分厚い茶封筒を取り出し、目の前のテーブルに置いた。そのテーブルを挟んだ向かいのソファに座っていた祐介は、きゅうっと眉を寄せてから「いつもすまないな」と軽く頭を下げた。


「ここ最近はお前に頼りっぱなしだ、不甲斐なくて申し訳ないよ」

「そんな事言うなよ。先生にしてもらった事を思えば、こんなのはかすみみたいなもんだ」

「仕事はどうだ? 順調か?」

「おかげ様で。シフトの都合上、どうしても夜に入らなくちゃいけないけど、毎日満員御礼で嬉しい悲鳴をあげてるって感じ」


 そう言って、拓海は肩をすくめる。祐介や亜希子にはホストをしているとは言っていない。街の方で女性向けの高級イタリアンレストランを経営していると嘘をついていた。


 できる事なら、こんな見え透いたような嘘をつきたくなかったが、年齢を重ねたせいかどことなく心配性で遠慮がちになってきた夫妻に「夜の世界に入りました」なんて恩知らずな告白もしたくない。ましてや祐介は心臓に難を抱えている。全ての条件をクリアする為に、今の自分の状況は必須だった。


「これで屋根の修理ができるよ」


 ありがとうともう一度頭を下げてから、祐介は重みのある茶封筒を手元にたぐり寄せる。今月も頑張ってよかったと、拓海がほっとできる瞬間だった。


「今日もこれから仕事か? 皆、拓海とケーキが食べたいと張り切ってるが」

「うん。でも少しなら大丈夫。ケーキもらうよ」


 施設長室のドアの向こうを肩ごしに振り返ってみれば、廊下の向こうに繋がっているホールから亜希子と子供達のはしゃぐ声が聞こえてくる。きっと、亜希子お手製のケーキに苺やホイップクリームなどの飾り付けをしてくれているところなのだろう。


 楽しみだなと呟いた拓海に、祐介が微笑みながら言った。


「二十四歳の誕生日おめでとうな、拓海」

「ありがとう、先生」


 拓海は物心ついた頃から祐介の事を「先生」、亜希子の事は「奥さん」と呼んでいた。戸籍上は彼らの養子なんだし、立派に育ててもらったという感謝もある。嫌悪感など一度も抱いた事はない。なのに、何故か二人を「お父さん」「お母さん」と、親を示す呼称で呼んだ事は一度もなかった。





 子供達が誇らしげに飾り付けをしたケーキを一緒に食べた後、拓海は皆に見送られながら似顔絵を持って『太陽の里』を出た。


 まだ開店時間まで、かなりの猶予がある。頑張って早起きしてきてよかった、一度マンションに戻って着替えるか。この似顔絵もどこか壁に貼らないとな。


 ホストだと悟られないよう、一番地味なスーツを選んできた事にほっとしながら、『太陽の里』の敷地内を出た時だった。


「拓海!」


 背後から声をかけられて反射的に振り返ると、かわいらしい柄のエプロンを着けた若い女が駆け寄ってくるのが見えた。「ミチ」とその名を呼んでやれば、ポニーテールを揺らしてやってきた彼女はラッピングが施された細長い箱を持っていた。


「これ、あたしからの誕生日プレゼント」

「おいおい、お前もかよ」


 ミチは、拓海より一つ年下の二十三歳。拓海より二年ほど遅れて『太陽の里』にやってきた。拓海と同じように十八歳で一度『太陽の里』を出たものの、大検を経て資格を取得し、去年の春から職員として『太陽の里』で働き始めた。


「一応、ブランド物だから。よかったらお店で使ってよ」


 ちなみに、ミチにはホストをしている事がバレている。それこそ去年、就職祝いだと背伸びしたミチが友人達と連れだって『Full Moon』に来た時、互いに「げっ!」と短い声をあげたものだ。


「悪いな、大事に使う」

「うん。体にはくれぐれも気をつけてね」

「お前もな。先生達の事、頼んだ」


 そう言って、今度こそ拓海は自宅マンションに向かって歩き出した。


 その道すがら、拓海は思う。自分は今まで、よくやってきた。血の繋がりはないが、家族同然と思える人達もいて、彼らの為ならいくらでも頑張れる。そのおかげで、金銭的な不自由も一切ない。


 そっと、自分の右肩を撫でる。一生残るだろうと思える傷跡を苦に思った時期もあったが、今では自分だけの強い武器――。


 幸せだ。普通の形とは全く程遠いだろうが、己の出自など気にならないくらいに幸せだと、拓海は思った。

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