第121話
「……どう? 少しは落ち着いた?」
「はい……。すみませんでした、取り乱してしまって」
「ふいに、あの男の顔を見てしまったんなら仕方ないわ。私も想定外だったし」
俺が淹れてきた紅茶の入ったティーカップをそれぞれ持ちながら、杠葉さんと今日子ちゃんが向かい合って話している。落ち着いたかと尋ねられていても、今日子ちゃんの顔はまだ険しいままだったし、杠葉さんの口調はこれまで一度も聞いた事がないくらいに固い。強請っている時とはまた別格だった。
「まさか、こんなに早く日本に帰ってくるなんて思ってなかったもの」
そう言いながら、杠葉さんは今日子ちゃんのノートパソコンに目を向ける。電源は入れっぱなしだったから、さっきのトップページはまだ生きていて、あの壮年の男の顔写真が大きく写し出されたままだった。
「最低でも、あと三年は帰ってこないと思ってた。だから、もう少し準備をゆっくり整えようとしてたのが間違いだったわね」
「……しょうがないですよ、杠葉さん」
手に持っていたティーカップをゆっくりと回しながら、今日子ちゃんが言う。今日子ちゃんの分の紅茶は、半分も減っちゃいなかった。
「あの男は、昔からああでした。何でもかんでも勝手に決めて、勝手にいろいろやらかしてくるんです。最初は父も、あの男をけげんに思っていたようでしたけど、人が良かったばっかりに……」
「……」
「杠葉さん。あの男の件は、私一人にやらせてもらえませんか?」
「今日子ちゃん、それはっ……」
「最初はあの男と父との問題だったんです。それを引っかき回した杠葉さんに、今も怒りを抱いていないと言ったら嘘になりますけど、最優先とするのはやっぱりあいつなので」
「ダメよ、今日子ちゃん。あの男相手に、一人じゃとても……」
……何言ってんだよ、二人とも。紅茶を運んできた俺の存在なんか完全無視して、二人だけの世界にどっぷりはまっちまってる。いやいやいや、さすがにこれはちょっと……じゃないな、相当感じが悪い!
俺は「やります」「ダメよ」を延々と交互に言い合う二人の間に立って、「ちょっとストップ!」と声をかけた。
「お取込み中申し訳ないんですが、俺にも分かるように事の経緯って奴を教えてくれないかなあ?」
「……」
「あの写真のおっさんが、何かしたんっすか? タツさんも呼ぶから、事の敬意をきちんと話して……」
「いいえ、結構よ」
皆揃った方がいいんじゃないかと何となく思って、そう言ったつもりだった。なのに、それをぴしゃりとした口調で遮った杠葉さんが、俺の顔をじいっと見つめてから言った。
「聡くん。乙女のプライベートに容易く首を突っ込んじゃダメでしょ? 何でもないから、次はトイレ掃除をお願いね」
「いや、でも杠葉さ……」
「聡くん」
いや、ダメだ。やっぱり何も教えるつもりはないらしく、杠葉さんはそのきれいな指で、すうっとトイレの方向を差している。俺はしぶしぶ、トイレ掃除を始めるしなかった。
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