第五章

第119話

「……それにしても、頑張ってらっしゃいますね」


 俺がユズリハ探偵事務所に就職して、やっと三ヵ月目になろうかという頃。朝礼が終わって、軽く床掃除をしていた俺に突然今日子ちゃんがそう話しかけてきた。


 タツさんは、息子の健太君が朝から熱を出したという事で急遽休みになったし、杠葉さんも今日は遅出の出勤らしく、まだ事務所に顔を出していない。探偵業の依頼電話もなくてヒマだったけど、黙々とパソコン作業をしている今日子ちゃんと雑談が弾む訳がないと早々にあきらめていた俺は、ヒマつぶしにやっていた掃除の手を止めて彼女を振り返った。


 今日子ちゃんの方から話しかけてくるのも珍しいけど、順調に動かしていた作業の手を止めてこっちをじいっと見ている事も珍しい。俺は何とも不思議な気持ちになって、思わず頬が緩んだ。


「え、そうかな……?」

「はい。最長記録ですよ」


 今日子ちゃんがこくりと頷きながら言った。


「これまでの前任者は、皆さん揃いも揃って短期間で引退されていったんで。ひどい人なんて、聡さんのデスクに座って十秒後に辞めると喚き出した挙げ句、『辞めさせてくれねえなら警察に通報する。黙っててほしかったら、口止め料とだましてた慰謝料も合わせて百万よこせ』と逆に強請ってきましたから」

「え……? そ、それで……?」

「そんな輩、杠葉さんが放っておく訳ないじゃないですか? 然るべき制裁を加えた後で、他言無用としっかりとした口止めをしたようです」

「……」

「そういう事なので、聡さんは頑張ってるなあと感心していた次第です。まあ、強請りのテクニックは全く上がっていないようですけど」

「いや、そんなスキル欲しくないから」


 俺がそう言うと、今日子ちゃんはほんのわずか、クスクスッと笑った。


 パッと見ただけでは、本当にどこにでもいる普通の女性だ。背が低くて、童顔で、丸縁メガネをかけた三つ編みといった見た目は、さぞ何度も学生に間違われてきたんだろうけど、ああやってコロコロと表記が変わっていくパソコンの液晶画面を難なく読み解いていく姿は、まさに一流といったものを感じさせてくれた。でも……。


「なあ、今日子ちゃん」

「はい?」

「今日子ちゃんは、この仕事楽しいか?」

「……探偵の方ですか? それとも強請り屋の方ですか?」

「両方とも」

「楽しくない時間の方が多いかもしれませんね。先日の依頼みたいな事も、たまにありますし」


 そう答えてから、今日子ちゃんは全身を一度だけぶるりと震わせる。あ、嫌な事を思い出させちまったかと、俺は急いで話題を切り替えようとした。

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