第117話

「……ああ~、これはようこそおいで下さいました! わざわざお越しいただいて、恐悦至極でございます~!」


 事務所から十分ほど歩いた、とあるビルの二階フロア。その入り口付近までやってきた俺達を異様に明るい声色で出迎えた中年の親父に、俺は見覚えがあった。えっと確か……、そうだ! 合同就職説明会のセミナー会場で杠葉さんに声をかけられてた奴じゃなかったか!? 名前は……そうそう、遠藤さんとか呼ばれてて。


「曽我君から話はしっかり伺っておりますよ?」


 中年の親父――いや、遠藤さんは、やたら愛想笑いと調子のいい声色を繰り返しながら、フロアの中に僕達を案内する。『Pretty Butterfly』のオフィスビルよりは小さかったものの、中は意外と広くて、いくつも並べられているデスクの合間を縫うようにたくさんの人達が忙しそうに働いている。遠藤さんはそんな彼らをさらに避けるように歩を進めながら言った。


「深山様が不安に思われるお気持ちは、同じ子を持つ親として、私も痛いほど分かります。ですが、その点におきましてはもう何も心配される必要はないと思いますよ? 確かに曽我君はうちの事務を担当しておりますが、我々企画課の人間も目を見張るほどの提案をして下さる事もあり、弊社としては大変助かっております」

「は、はあ……」

「そりゃあ、弊社など『Pretty Butterfly』様からすれば弱小極まりない存在でしょうが、先日も曽我君のおかげで大きな契約を一つ勝ち取る事ができたんですよ。しかも、その直前、営業の者が致命的なミスを犯していたところ、彼が気が付いてくれたゆえに勝ち得た仕事なので、それなりのポストを用意すると言ったんですが、丁重に断られてしまいました。『会社からより、元嫁からの信頼を得る方を優先したい』だそうで……」

「え……」

「謙虚な彼の姿勢には、我々社員一同、頭が上がりません。あ、あそこですよ」


 そう言って、遠藤さんが指差した先にあるデスクで、タツさんはバタバタと忙しそうに働いている……演技をしていた。


 ちょっとわざとらしく積み上げられた書類を乱暴に掴み取っては判を押し、立て続けに鳴りっぱなしな電話に出ては応対し、何かしら尋ねてきた会社の人に対してちょっと偉そうに指示をしたりと……前もって演技だって知らされてなければ、本当にここのフロアで忙しく働いている一人前の社会人のように見えた。


「あと少しで休憩時間に入ると思うので、そうなったら呼んできましょうか?」


 遠藤さんが尋ねると、少し呆けたようにタツさんの様子を見つめていた深山愛子がはっと我に返ったかのように、急いでこくりと頷く。それを見た杠葉さんが後ろ手でサムズアップをしてみせたので、俺は心底ほっとして確信を得た。今回の依頼、間違いなく達成したって。

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