第106話

田沢家には、ものの二十分程度で到着した。定時はとっくに過ぎている。もし田沢良一が残業とかどこかに飲みにでも行かない限り、あと何分と経たないうちに俺達の目の前に現れるはずだ。


「プリフラのビルの前から見張らなくてもよかったんですか?」


 パソコンの準備をしながらも、どこかそわそわしている今日子ちゃんが俺にそう話しかけてくる。『Pretty Butterfly』のオフィスビル、きっと間近で見たかったんだろうなと思いながら、俺は首を小さく横に振った。


「田沢はバス通勤だし、このワゴンじゃバスを尾行するにはちょっと目立つだろ?」

「そうかもしれませんけど、万一依頼人とどこかに行くような事があったら」

「それはねえ」


 今日子ちゃんの言葉を容赦なく遮って、タツさんがそう言う。サングラス越しの視線は、ずっと田沢家の佇まいをにらみつけたままだ。


「今の愛子の頭の中身の半分は円滑な仕事管理と、もう半分は健太の幸せだ。例えどんな男に言い寄られようが、まずはそっちを優先する。そしてきっちり見極めて、ようやく自分の幸せの為に動く女なんだよ」

「ずいぶん分かってらっしゃるんですね、依頼人の事」

「かつては惚れた女だからな」

「へえ~……」


 珍しく今日子ちゃんがからかうような声色を出す。それを聞いて、俺は分からなくはないなと思った。そんな女性とかつて夫婦として一緒にいたんだから、本当のタツさんはこんな悪人ぶった様が似合うような人なんかじゃないってのは……うん、よく分かる。


 だから、田沢良一がこの前と同じようにスーパーの袋を提げた姿を現した時は、マジでビビった。殺気って奴は決して目には見えないものだと思っていたのに、タツさんの全身からゆらりと立ち昇ってきたように感じられたから。


「あの野郎。今日はママのカレーでも食うつもりかぁ……?」


 半透明のスーパーの袋からちらりと見えた食材にタツさんはカレーだと推測したようだが、今日子ちゃんがキーボードを叩きながら「肉じゃがではないですか?」なんてのんきな言葉を返してくる。そんなの、どうでもいい。どっちみち、今日は夕飯抜きにさせるつもりなんだろ?


「あと数分で、田沢家の防犯カメラを始めとした全てのセキュリティシステムを完璧に抑えられます。聡さん、先行お願いします。達雄さんは玄関が開くまで、聡さんから少し離れたどこか物影にいて下さいね?」

「ああ、分かってらぁ。行け、聡」

「は、はい……」


 ごくりと生唾を飲み込んでから、俺は一足先にワゴンから降りる。この間、『Pretty Butterfly』に潜入した時と同じ宅配業者のツナギ服を身に纏って。

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