第104話

次の日の午前九時に俺が出勤してくると、杠葉さんも今日子ちゃんもとっくに事務所に来ていて、お互いのパソコン画面をにらみつけながら強請りの打ち合わせをしていた。


「今日子ちゃん。昨日言ってたセキュリティのハッキングだけど、しかけてから何分で完了できる?」

「五分も必要ありません。ハッキング後は私のパソコンからしか解除できないようにしておきますんで、じっくりたっぷり強請りをかけられますよ」

「ありがとう、助かるわ。正直に言うと精神衛生上耐えられそうにないから、いつもより短い時間で決めるつもりだったんだけど」

「タツさんの希望なんだから、そこは付き合ってあげましょうよ。まあ、精神衛生上耐えられないっていうのだけは同意しますけど……」


 そんな事を言っていた今日子ちゃんのパソコンには、今朝方、田沢良一のセキュリティシステムに侵入した際に掠め取ってきたという防犯カメラの映像データが映し出されている。この間、杠葉さんと一緒に目撃した時よりもずっとえげつないものばかりが流れていて、せっかく母親が作ってくれた朝食を胃酸と一緒に吐き出しそうになった。


「ゆ、杠葉、さん……。俺もやっぱ生理的に無理っす……」


 今日子ちゃんのパソコンから目を逸らし、両手で口元を押さえ込みながら俺は弱音を吐く。本当に無理だ、あの男はガチでヤバすぎる。


 なのに杠葉さんは、ふうと深くて長いため息を吐き出すと、首を横に振りながら「ダメよ」と言ってきた。


「今回、聡くんにはタツさんに付いていってほしいの」

「え、何で……? 杠葉さんは!?」

「昨夜遅くにタツさんからLINEをもらってね。ああいう男は、よその女から命令じみた事を言われると暴走しかねない。危険だから私と今日子ちゃんは事務所に残っててほしいって言われたの」

「そ、それは確かに……」

「かといって、タツさん一人に行かせたら、逆に彼がそうなる可能性だってある。だから聡くんにはお目付け役として付いていってほしくて。もちろん、お守りは渡しておくから」


 そう言いながら、杠葉さんはデスクの引き出しの中から手のひらサイズの大きさをした、ある物を取り出す。一見ただのブローチにしか見えないが、中心の方に親指が触れられるだけのわずかな窪みがあったし、アクセサリーにしては少し重いような気もした。


「通常のGPSに今日子ちゃんが独自の改造を施した発信機よ」


 杠葉さんが言った。


「その窪みを強く押したら、中に仕込んであるGPSが起動して私達に知らせてくれるって仕組みよ。ほんの一瞬でもヤバいとか危ないとか感じたら、遠慮なく押してちょうだい」

「は、はい。分かりました。でも……」


 何だかこんな物は必要ないような気がしてきて、俺は杠葉さんにブローチ型発信機を返そうかどうかと悩む。その間に、給湯室から出てくる人影があった。


「おはようございます、達雄さん。ご用意した服のサイズは間違いないですか?」

「ああ、大丈夫だ。今日子ちゃん、サンキューな」


 今日子ちゃんの言葉に対して、タツさんがずいぶんとドスの効いた低い声で返してくる。もしかして不安で寝不足がたたっているのか、それとも景気づけと称して酒でも飲み過ぎたとか……?


 心配になった俺が給湯室の方を振り返ると、そこにいたのは初めて会った時に見たサングラス姿のタツさんだった。


「タツさん、仕上げてきたかしら?」


 杠葉さんが口元を持ち上げ、くすりと笑いながら尋ねる。タツさんはさらに声を低めて言った。


「当たり前だろうが。いつでもあのガキを強請りに行けるぜ?」


 臨戦態勢上等って感じのタツさんが、両目を血走らせながらそこにいる。万一、とんでもない修羅場になったら、とてもブローチ一つで止められる気がしねえよと、俺は天井を仰いだ。

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