第101話
「……ズルいわよ、今日子ちゃん」
何かを堪えるようにしながら、杠葉さんが言った。
「あの時の事を引き合いに出してくるなんて、ずいぶん今日子ちゃんらしくない事を言うじゃない」
「私だって、そうすべきだと思った時はどんな事でもやる覚悟を持ってます。だから、この事務所にいるんです」
今日子ちゃんはずっとパソコンと向かい合ったまま、杠葉さんの顔を一切見ようとしない。俺が立っている位置からはあまりよく見えなかったけれど、それでも今日子ちゃんが怒っているという事だけは理解できた。
「下手な線引きや中途半端な真似はやめましょう、杠葉さん。どこかからやって来た依頼人でも、今この場にいる社員でも、裏メニューを依頼されたなら受けるべきです。それが私達の仕事なんじゃないんですか?」
「……」
「今更、達雄さんを必要以上に巻き込む訳にはいかないとか、そんなぬるい考えはもう捨てて下さい。その方が甚だ迷惑です」
まるで説教しているかのような今日子ちゃんの言葉に、俺は少し身震いした。俺より年下であるはずなのに、今日子ちゃんの言葉には何だかひどい重みが乗っかっている。その重みはきっと強請り屋としてではない、杠葉さん自身の根幹に関わる事に違いないようで、そうでなければ冷静沈着である彼女の顔色がこれほどまでに変わるはずがない。
でも、その事を何一つ知る由のない俺が、ここで今日子ちゃんの口を止める事なんてできない。「聡さんには関係ないので下がっていてもらえませんか?」とか言われるのがオチだろうし、何よりさっきから続いている身震いのせいでうまく動けそうにないんだ。強請り屋の仕事にいまだ躊躇している俺が、決して首を突っ込んじゃいけないような領域を見せつけられてる気分だった。
それを察したのかどうかは分からないが、タツさんが焦ったかのように「ああ~……」と喚きながら、杠葉さんと今日子ちゃんの間に大きな体を滑り込ませた。
「す、すみません杠葉さん。確かにおっしゃる通りだ、わがままを言ってすんません……!」
「……っ、いいんですか達雄さん?」
「今日子ちゃんも気をもませて悪い。今言った事はあきらめるから、杠葉さんと仲直りしてくれよ。な?」
自分のデスクに寄りかかるように力なく立っている杠葉さんの体を優しく押すようにしてリクライニングチェアーに座らせたタツさんは、そう言いながら次は今日子ちゃんに向かっていつもの笑顔をしてみせる。杠葉さんは居心地が悪そうにそっぽを向き、今日子ちゃんも何も言葉を返さないまま、キーボードを叩き始める。
何だよ、これ。何だか、いつもの事務所の空気じゃない。全然違うじゃんか……。
何故か全く見知らぬ土地に突然連れてこられたような孤独感というか、疎外感に近いものを覚えてしまった俺は、急いで一番近くにいたタツさんの方へと手を伸ばす。だが、その時だった。
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