第99話
今日子ちゃんの言う通り、午後三時ぴったりに杠葉さんは帰ってきた。事務所のドアを開けて「ただいま帰りました」と杠葉さんが言うや否や、タツさんが短い距離を全速力で駆けて彼女の前に立った。
「ゆ、杠葉さんっ……」
「あら、お帰りなさいタツさん。休暇は楽しめましたか?」
「話があるんだっ……」
「息子さんとの土産話ですか? ちょうど時間もできましたから、是非お伺いしたいですね」
「違う、そうじゃねえ」
そこで言葉が詰まってしまったのか、タツさんは一度視線をきょろきょろと落ち着かなく動かしていたが、やがてぴしりと佇まいを整えると、腰を九十度近くまできっちり折って、杠葉さんに深々と頭を下げた。
「杠葉さん、頼む。正式に裏メニューの依頼をさせてくれ」
「え……」
「田沢良一を、強請ってくれ。この通りだ……!」
切羽詰まったような物言いに、杠葉さんは事の次第をすぐに飲み込めたようだ。そしてちょっと怒ったような顔で俺と今日子ちゃんを交互ににらみつけてきたが、俺は必死になって首を横に振りまくった。
「誤解です。俺、何もしゃべってませんし!」
「そうでなくても、こういうのはいつまでも隠し通せるものでもない、一番やっかいな事案じゃないですか」
俺の言葉を継ぐようにそう弁明してきた今日子ちゃんは、さっきの写真を再びパソコンの画面に映していた。本当なら、とっととさっさとこんな写真、私のパソコンから消してしまいたいんですけどね! と、つい数分ほど前まで嫌悪感剥きだして言っていたのに。
「確かに今日子ちゃんの言う通りですが」
三人分の視線に取り囲まれて、ちょっと動揺しているのか、杠葉さんの足元が少しふらつき始める。だが、その細い足首のどこにそんなものがあるのか、ぐぐっと両足に強い力を加えた事が支えになり、何とか倒れるような事にならずにすみ、そして……小気味いいくらいきっぱりと「でも、ダメです」と言い切った。
「先日お話した通り、タツさんには田沢良一の件から外れてもらいます。ですから、もう少し事務所内で待機をお願いします」
「そんな、杠葉さん……!」
「そもそも、うちの社訓の一つにある事ですよね? 個人的事情による裏メニューの私用は決して認めず……だからダメです」
「ぐっ……」
「ああ、そうだ。もし退屈でしたら、聡くんに内勤のイロハを教えてあげて下さい。まだ不慣れのようで、しょっちゅう掃除道具の片付けを間違う始末なんですよ」
そう言って、自分のデスクに向かっていく杠葉さんだったが、あのお気に入りにリクライニングチェアーに座る事はできなかった。俺が、彼女の前に立ちはだかったからだ。
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