第四章

第96話

きっかり二十分後。田沢良一はとあるバス停でバスを降り、そのまま近場のスーパーに直行した。そこで玉子とネギと鶏肉なんかを慣れた感じで購入していくと、足早にスーパーを出て、さらに帰路を行く。やたら上機嫌で、ふんふんと鼻歌を歌っているのが本当に腹立たしかった。


「聡くん、何の変哲もない通行人がしていい顔じゃないわよ?」


 田沢良一の背中をまっすぐ見つめ、8メートル間隔の鼻孔を全く崩さない杠葉さんがぼそりと小声でそう言ってきた。


「ターゲットを見失わない事以外は全部頭の中から消して、心を落ち着かせて。自然体でいる事と無表情でいる事は、似てるようで全く非なる事よ」

「は、はい。でも、俺には難しくて……」

「そうかもしれないけど、できるだけ頑張って。頭の中がクールでないと、真実を見逃してしまうからね」


 杠葉さんは全然俺の方を見ていなかったけど、その真剣な声色から俺にしっかりアドバイスしてくれてるんだって事は分かった。これが普通のありきたりな職業だったり、何千歩も譲って普通の探偵業であったら素直に自分の中に吸収できたんだろうけど、何てったって強請り屋だもんなぁ……。ものすごく惜しい気持ちを抱きながら、俺も田沢良一の背中に目を向ける。彼の足はやがてたくさんの家々が連なって建っている住宅街へと入っていった。


 えっと……と、少し唸るようにつぶやいてから、俺は昨日の今日子ちゃんの言葉を思い出す。


『……深山さんにプロポーズをされていたんですから分かってるでしょうが、田沢良一は現在独身ですね。結婚歴はなく、家族構成は母親との二人暮らし。数年前に亡くなった父親が株投資に精通していたらしく、まあまあ裕福に暮らしてきたようです。まあ、お仕事のできるおぼっちゃまってところでしょうか』


 ステータスだけなら、タツさんには万に一つの勝ち目もないって事だよな。誰がどう見たって、どっちが優勢か分かる。小学生の問題集より簡単に答えが出るってもんだろう。


 それなのに杠葉さんは、自分の勘に絶対的な自信を持って行動してる。タツさんに残っているかもしれない万に一つしかない勝ち目を見つけ出そうとしてるんだ。


 これが、探偵って奴の性なのか……と、一瞬だけ杠葉さんが強請り屋をやってる事を忘れてしまった時だった。


「ただいま~」


 前方からそう聞こえてきた田沢良一のその声に、杠葉さんがすぐ側の電柱にさっと身を隠す。その電柱はさっきの街路樹よりずっと細くて杠葉さんの体を隠すだけで精いっぱいだ。俺は道の真ん中でマヌケにも突っ立ってしまってる状態になった。


「ゆ、杠葉、さ……」

「しっ、大丈夫よ聡くん。そのまま彼を見てて」


 俺を落ち着かせようとしてくれてるのか、人差し指を唇に当てて声を細める杠葉さん。俺はゆっくりと一つ頷いてから、8メートル先の家に入っていく田沢良一を見送った。

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