第93話

「元奥様の言う事も、全くの暴論とは言えませんからね。かわいい我が子を預けている元夫がどんな生活をさせているか、苦労をかけさせてやしないかと心配にならないはずありません。その面においては大丈夫ですよと言って差し上げたいところですが、如何せん証明する事ができません」


 私達、強請り屋ですからねえと、杠葉さんが肩をすくめる。それを見た今日子ちゃんが「それはそうですが」と口を挟んだ。


「以前も、何とかごまかせたんでしょ? 今回も同じ手は使えませんか?」

「使えない事もないですが、少々時間が足りない事がネックです。せめてあと一日か二日依頼報告日を延ばす事ができれば」


 そう言って、杠葉さんがううんと両腕を組みながら考え込む。事務所の方針上、探偵業を行う際は、最初に取り決めた報告結果の日取りを変えたりしない。それが依頼人からの信頼を得る為の絶対的条件の一つだと最初に聞かされたっけ……。


 そのポリシーを曲げずに何とか事を進める為に、俺達ができる事。タツさんが、何とか息子さんと別れずに済む方法を……と、いつの間にか俺も考え始めてしまった時だった。


「聡くん。田沢良一はどんな男だった?」


 今の今まで、この先どうしようかと思い悩んでいたはずなのに、こっちを向いてそう尋ねてきた杠葉さんはとてもきりっとした表情で俺の返事を待っていた。それに面食らってしまった俺は一瞬呆けてしまったが、すぐにあの嫌な笑みを浮かべていた男を思い出してしまい、感じた通りの事を話してやった。


「裏表の激しいっていうか、相手によって態度を変えてくるような奴だと思います。仕事はできるのかもしれないけど、ちょっとでも自分より劣っている奴は見下して、タツさんの元奥さんは必要以上に褒めちぎっていた……というより、あれは媚びてるに近かったような……?」

「そうでしょうね。私もほぼ似たような印象を感じたわ」


 何となく、鼻につくのよね。強請り屋の血が騒ぐくらいに……。


 そう言って、杠葉さんは口元に弧を描く。それを見て察したのか、ふうっと大きなため息をついてから、今日子ちゃんがパソコンに向き直った。


「『Pretty Butterfly』の社員名簿データにアクセスすればいいですか?」

「あら、今日子ちゃん。今回は協力してくれないんじゃなかったの?」

「気が変わりました。達雄さんの方がいい父親してると言いたいのは、何も杠葉さんだけではありませんから」


 毒のある言い方がちょっと気になったが、そんな俺を全く気にも留めないで、今日子ちゃんの指はパソコンのキーボードを正確に打ち続けていった。


 やがて終業時間になって、タツさんはしょんぼりしたまま事務所のドアから出て行こうとしていたが、それを杠葉さんが引き止めて言った。


「タツさん、有休たまってるでしょ? 三日ほどお休み差し上げますから、息子さんと一緒にいてあげて下さい」

「え……」

「大丈夫。その三日で、ケリを付けておきますから。ねえ、聡くん?」


 机周りに置かれているゴミ箱の中身を回収していた俺の肩に、杠葉さんの手がポンと置かれる。ああ、また何かやらされるのかと思ったら、俺の中の絶望感が再びこんにちはしてきた。

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