第92話
「……なぁ~にが『はい♥』だ、愛子の奴ぅ! いい年して乙女になってんじゃねえぞ~~~!!」
何とか深山愛子と田沢良一の会話を録音、そして潜入していた『Pretty Butterfly』オフィスビルからの脱出に成功した俺は、その足で事務所に戻ってきた。
事務所のドアを開いて中に入った瞬間、これまでの人生で一度も味わった事がない安堵感に包まれて、思わず泣きだしそうになった。俺がやっていた事は不法侵入と盗聴であり、いくら探偵業の一環だと言い訳したところで、あれらは立派な犯罪だ。それを誰にも悟られる事なく無事に帰ってこれて、何の変哲もない穏やかな日常のありがたみを深く思い知った。うん、もう二度とやらねえ。
気力を振り絞って自分のデスクまで体を動かし、そのまま突っ伏す俺。できれば二時間ほど眠りこけてしまいたかったのに、杠葉さんの「聡くん」というぴしゃりとした呼び声に邪魔されてしまった。
「休憩する前に、提出してもらう物があるでしょ?」
ほら、と片手を突き出して手のひらを揺らしてくる杠葉さんに、俺はああ……とため息を漏らしながら、ポケットの中に忍ばせておいた盗聴器を取り出す。たぶんちゃんと録れてると思いますと前置きしてから杠葉さんの手のひらに乗せてやると、彼女は何のためらいもなくそれの再生ボタンを押した。そして流れてきたのが先のものであり、当然一緒に聞いていたタツさんはこの上なくブチ切れた。
「どうせ相手は年下だろ!? 愛子、お前いつから好みが変わった!? 若けりゃいいのか!? 俺よりイケてりゃ、他はどうでもいいってのかぁ!? そんなヤローに健太を渡せる訳ねえだろうが!! 愛子、考え直せ! 俺は絶対に許さねえからな!!」
デスクの上の紙束をまき散らしたり、座っていた椅子をぶんぶんと振り回したりと、タツさんはひと通り暴れまくった後、今度は盗聴器に向かって何度も似たような言葉をぶつけていく。そんな録音された音声に文句をぶちぶち言い連ねても、全然意味ないっていうのに……。
僕と杠葉さんは呆れるだけだったが、渾身の出来だと自慢していたお手製の盗聴器に向かって文句を垂れ流し続けるタツさんのそんな姿を、今日子ちゃんはものすごく不快に思ったんだろう。ふいにぱっと盗聴器をかすめ取ると、停止ボタンを押しながら「いい加減にして下さい」と言った。
「今の達雄さんだって、それなりにみっともない姿をさらしてますよ。五十歩百歩、どんぐりの背比べですね」
「ああ!? 俺がいつみっともない姿を……」
「今です。もっと正確に言うなら、元奥様からの依頼をお受けした時ですね。プライベートを持ち込むだけならまだしも、余計な仕事を増やされては困ります」
ふんッと一つ鼻息を漏らしてからはっきりとそう言う今日子ちゃん。よっぽどその言葉が効いたのか、終業時間が来るまで今日のタツさんはものすごく静かでおとなしかった。
「しかし、まあ困りましたね」
少しして、杠葉さんがそう言ってきた
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