第86話
探偵マニュアルその①――変装している際は、必ず「その役」になりきる事。堂々と怯む事なく相手の目を見つめ、展開を操作。よりよい情報を聞き出すべし。
「……すみません。四階フロア・デザイン開発室へ、ご注文の品のお届け物に上がりました」
三十分後。真新しい宅配業者のツナギ服と分厚い縁取りのメガネを身にまとった俺は、必要以上に中身の入っていないダンボール箱をさも重そうに抱えてるふうに見せかけながら、『Pretty Butterfly』のエントランスに鎮座している受付嬢に声をかけた。
俺より一つか二つくらいしか年が変わらないだろうその受付嬢は、最初はきょとんとした表情を浮かべていたが、すぐにはっとしたかのように両肩を震わせると「開発室のどなた宛てですか?」と問い返してきた。慌てるな、俺。こういう時の答え方は、事務所を出る前に杠葉さんからあらかじめ教えられてただろ。
探偵マニュアルその②――調査対象者、並びにその関係者について何かしら聞き返された際は、あえてその人物名を利用する事。下手な偽名を使うより、よほどリアルになって疑われにくい。
「
「分かりました。ええと……本日、田沢を始め、デザイン開発室の方々は全員部署内にいますね。開発室は、四階エレベーターを出て、それから廊下を右に折れた先にございます」
「ありがとう」
「エレベーターを降りたら、こちらの外注業者専用の入社パスをご利用下さい。デザイン開発室のフロアへのドアは、パスを通さないと開かない仕組みとなっておりますので」
そう言って、受付嬢は手元の引き出しから入社パスの入った吊り下げ式のプレートを差し出す。でも、俺が苦笑いしながら両手でダンボール箱を何とか抱えているふうに見せたから、彼女はあっと小さく声を出した後で、俺の首にそっとプレートをかけてくれた。
「ありがとう」
「いいえ。ご苦労様です」
労いの言葉をかけながらぺこりと一礼し、そのままエレベーターに向かう俺を見送ってくれる受付嬢に、俺はちょっと……いや、相当胸が痛くなった。だってこれ、どうあってもだましてる以外の何物でもないし。タツさんの為じゃなかったら、絶対ここまでやらねえぞ俺は!
幸いにも他にエレベーターに乗り合わせてくる奴もなく、俺は一人で中に乗り込んだ。四階へのボタンを押して、続けてエレベーターのドアを閉める。後は独特の浮遊感にちょっと酔いながら、ツナギ服を脱ぎ捨てようとしたんだけど……。
探偵マニュアルその③――常に周囲に気を配るべし。特に監視用や防犯カメラは要注意、取り返しがつかなくなる場合もあり!
あぶねっ。天井の隅にちょこんとある防犯カメラに映るところだった。焦るな焦るな、俺。
確かエレベーターの近くって、トイレが近くにある事が多かったよな……。
逸る心臓の音を何とか落ち着かせようと、俺は狭いエレベーターの中で何度も深呼吸した。
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