第85話

三つ先の駅で乗り換え、さらに十分ほど電車を乗り継いだ後で目の前にした『Pretty Butterfly』のオフィスビルは、ユズリハ探偵事務所の周囲を取り囲んでいるそれらよりもずっと高くそびえ立っていて、威風堂々とした様さえ窺えるほどだった。


 さすが世界を股にかけてるファッションブランド会社というべきか、入り口の自動ドアのあたりを出入りしている人間達も実に堂に入っている。ぴんと背筋を伸ばしたまま、きびきびとした足取りで歩を進めている彼らは、自分の仕事や人生に誇りを持って生きているというまぶしさまでその身にまとっていた。


 普段は全然気にしていないけど、いつもの安物ぞろいの格好だったら、半径十メートル圏内にすら近寄る事もできないサンクチュアリ。だが、俺には事務所を出る際に今日子ちゃんから渡された『本日の探偵道具セット』なるものがある。杠葉さんに言われて、パンパンに膨れ上がったボストンバッグをしぶしぶといった感じで手渡してきたけど。


「……一つ誤解をしないでいただきたいですが、私は別に達雄さんに不幸になってほしいと思っている訳ではありません。達雄さんは、大事な仲間なんですから」


 俺だけにしか聞こえないほどの小さな声でそう言った上、どこか気恥ずかしそうにそっぽを向いた今日子ちゃんに、俺は素直に「サンキュ」と言えた。きっと今日子ちゃんも、本心ではタツさんの事を応援したいと思ってるんだろう。だから、今この場にふさわしい『本日の探偵道具セット』をきっちり用意してくれたんだから。


「『Pretty Butterfly』オフィスビルの西隣三軒目のビルの一階にコンビニがあります。そこのトイレにすぐ入って、バッグの一番上にある衣装に着替えて下さい」


 ボストンバッグのポケットに入っていた指示のメモに従い、まずはコンビニに入る。そのままトイレに入ると、すぐバッグのチャックを開けて衣装を引っ張りだし……。


「……うん、分かる分かる。嫌な予感って言うほどでもないけど、やっぱ何となく予想はできてたよ、今日子ちゃん。伊達に母親と一緒に何十、何百回とサスペンス二時間ドラマを観てきてねえからな。舐めんなよ?」


 今更ながらにして思うが、ユズリハ探偵事務所の中で出来上がっている探偵業や裏オプションのマニュアルって、ドラマを主な参考資料としてるんじゃねえか……?


 そんな疑問を抱かずにはいられなかったが、今はそんな事より……と、俺は急いで引っ張り出した衣装に着替え始めた。

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