第84話
次の日、タツさんは昨日よりもさらに落ち込んだ様子で出勤してきた。事務所のドアをくぐり抜けてきてから数分おきに重苦しいため息を吐き続けてくるので、隣のデスクに座る俺にもあくびって形で移りそうだし、今日子ちゃんも集中が削がれるのかタイピングを打つ手が若干いらだっている。そんな状態が昼前まで続いたので、さすがに見かねた杠葉さんが「タツさん」と声をかけた。
「気持ちは分かりますが、切り替えて仕事に集中して下さい。必要以上に悩んだところで、今の段階では何も変わりませんよ?」
「……っ、すみません杠葉さん。でも……」
あれから、タツさんはどんな気持ちで健太君と過ごしたのかと思ったら、何か胸がぎゅっとなった。もし、杠葉さんの工作がうまくいかなかったら、健太君を取られる可能性があるんだろ? どんないきさつがあって離婚したかは知らないけど、今に至るまで、健太君を育ててきたのはタツさんだ。仕事自体は褒められたものじゃないけど、それでも立派に息子を育てているんだから、その辺は立派だと思う。
テレビドラマでよく見かけるよな。それまで全然ストーリーに関わってこなかったのにいきなりしゃしゃり出てきて、「子供は母親が育てるのが一番なのよ!」とか言い出すおばさんが。深山愛子もそういった類の女なんだろう、きっと。
そう思ったら、何が何でもタツさんを応援したくなった。まだ出会って日も浅いから、タツさんの事をよく知っている訳じゃないけど、健太君の為にわざわざかわいらしいエプロンを着けて一生懸命おいしいものを食べさせてやろうとしているいい父親だという事は分かる。うちの親父なんて、台所に入る事さえないってのに。
「大丈夫ですよ、タツさん」
杠葉さんの方を向きながら、さらにしょんぼりとしているタツさんに向かって、俺は言った。
「俺も頑張って、元奥さんがあきらめてくれるように頑張りますから」
「さ、聡、お前ぇ~……」
ずずっと鼻を啜ってから、タツさんはすまねえ、ありがとうなとペコペコ頭を下げる。それが気恥ずかしくってタツさんから視線を外していたら、何故か杠葉さんは自分専用のパソコンを難しい表情でにらみつけていた。
「どういう事……?」
ぽつりとつぶやいたかと思ったら、杠葉さんは今日子ちゃんには及ばないものの、それでもまあまあ素早いタッチでパソコンを操作していき、やがて一枚のプリントを印刷してきた。そして。
「聡くん。今からこのビルに行って、この写真の男の人となりを見てきてくれないかしら?」
そう言ってプリントを差し出してくるので、俺は急いでデスクから立ち上がり、杠葉さんの手の中から手早く受け取った。
プリントには、深山愛子の勤め先である『Pretty Butterfly』の住所、そしてある男のものと思われるプロフィールが綴られている。それと杠葉さんを交互に見返していたら、彼女はにこりといつものように笑いながら、
「今日子ちゃんから探偵道具を借りるのを忘れないようにね」
と、片手を振ってきた。
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