第80話

「先月の息子との面会日で会った時、元夫に何度目かの同じ質問をしたんです。『いい加減に、勤め先の会社の名前を教えて』って。きちんとした職に勤めてすらいない人の元に、血を分けた息子を預けておく訳にはいきませんから」

「なるほど。確かにそれは筋の通ったご意見ですね。それで、元ご亭主は何と返されたんですか?」


 元奥様からできる限りの情報を引き出すから、私は彼女の味方を演じます。タツさんにとっては多少不愉快な返答が聞こえてくるかもしれませんが、それはご容赦下さいね?


 前もって、そんな旨をはっきりと言っていた杠葉さんは、深山愛子の全面的な味方をする姿勢を見せている。やや前屈みな体勢に、食い入るように問い返す言葉。そしてまっすぐに依頼人を見つめる眼差し。どれもこれも、今日子ちゃんが教えてくれたテクニックの応用だった。


 そんな杠葉さんの様にすっかり安心したのか、深山愛子の険しかった顔が少し緩み、「それがですね、聞いていただけます!?」とまるで長年の友人に愚痴をこぼすかのような感じで続きを話してくれた。


「『そんなの、お前の知ったこっちゃないだろ。きっちり稼ぐものは稼いで、健太にひもじい思いをさせたりみっともない姿を晒させたりしてねえんだ! 訳分かんねえチャラチャラしたデザインの服しか売ってないような頭のおめでたい女の出る幕じゃねえ!』とか言ったんですよ!? あの感性昭和止まりの男は!! これって女性蔑視と職業差別ですよね!?」


 ……うわ、これちょっとやっちまったってレベルじゃないな。俺と似たような事を思ったのか、デスクに向かっていたはずの今日子ちゃんが肩越しに給湯室を振り返ってくる。激レアとも言える、今日子ちゃんのドン引き顔を見る事ができた。


「タツさん、マジでそんな事を……?」

「いや、つい売り言葉に買い言葉って奴でっ。愛子だって、俺の事を昔からファッションセンスがないってずっと言っててさ……」

「それ、案外当たってるかもしれませんよ。ついでに健太君にも若干移ってるし」


 タツさんが「何でだよ!?」と言いたげにしてくる中、杠葉さんも何とか頬が引きつるのを耐えながら、深山愛子と話を続けている。どうやら、依頼を受ける方向に進めているようで……。


「それでは依頼内容としましては……元ご亭主である曽我達雄さんの身辺並びに素行調査という事ですね?」

「ええ。これが元夫の今分かる限りの情報です。ぜひ使って下さい」


 そう言って、深山愛子は一枚の紙きれを杠葉さんに渡す。遠目からだからよく見えなかったけど、たぶんほんの数行程度しか記されてなかったと思う。「出会って十五年以上経ってんのに、俺の個人情報を短くまとめすぎだろ愛子ぉ!!」と、それこそ訳の分からない怒りで暴れそうになるタツさんを抑えるのにも必死だったし。


「分かりました。一週間ほどお時間を下さい。必ず、ご満足いただける結果を出します」

「お願いします」

「それと、これは個人的な興味ですが、もし万一にもご満足いただけない結果が出ましたら、どうされるんですか?」

「決まってるじゃないですか」


 深山愛子は、この事務所に来て初めて満面の笑みを浮かべた。


「そんなどうしようもない父親の元にいたら、健太の成長に悪影響しかありませんから。何の為に『健太』と名付けたか分からなくなりますでしょ?」


 事務所の中の空気が、一気に何度か下がったような気がした。

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