第78話

「だ、だ、大丈夫だよな、聡……」


 あわあわと忙しく表情を変えながら、タツさんが尋ねてきた。


「確か俺、あの時、お前に俺の遠縁って設定を出してたけど、健太にもそういうふうに言ってるよな!? まさかとは思うが、俺が強請り屋をやってるなんて」

「言ってませんし、そんな時間もなかったですから」


 健太君と一緒にいた時間なんて数分にも満たないし、交わした言葉だってもっと限られてる。何より、父親が犯罪行為をしてますよだなんて、あんな小さい子にほいほい教えるような悪趣味だって持ち合わせてない。その事を端的に短く言ってやれば、ぽかんと開きっぱなしだったタツさんの口から今度は大きな大きなため息が漏れ出てきた。


「そっか、よかったぁ……。強請り屋の事が元女房にバレたら、親権取られかねないもんな」

「まあ、それ以前の問題として逮捕されるでしょうけどね。共倒れ、巻き添え、その他もろもろの面倒事は私達も勘弁してほしいので、くれぐれも秘密厳守でお願いします」


 興味なさげに視線を外した上に、パチパチとノートパソコンのキーボードを打っている今日子ちゃんがそんな事を言ってくる。聞こえていたのか、デスクに座っていた杠葉さんもちょっと困ったように笑っていた。


「おい、ちょっと今日子ちゃ……」

「いや、いいよ聡。確かに今日子ちゃんの言う通りだから」


 昨夜、憎々しげに感情をぶちまけながら杠葉さんのデスクをにらみつけていた今日子ちゃんと、今ここで一切の感情を見せずに無表情でノートパソコンをいじっている彼女が同一人物とは思えないっていうのもあったけど、さすがに今のはデリカシーがないって思えて。ひとまず一言言ってやろうと思ったのに、そんな俺の腕をタツさんが掴んで制した。


「健太にも元女房にも、今の俺はある企業子会社の事務員をやってるって説明してるんだ。いまだに劇団員をやってるって言ったら、もらってる給料の採算が合わないからさ」

「そういえば、元劇団員だったって言ってましたけど、その写真って……」

「ああ、まあな」


 タツさんは俺と腕の中の写真立てを交互に見つめながら、ちょっと言いにくそうに話してくれた。


「俺と元女房、同じ劇団にいたんだよ。それで付き合って健太ができちまって……小さな劇団だけで食っていける訳ないから、元女房と一緒に辞めた訳なんだけど」


 そこまで聞いた時だった。ふいに杠葉さんのデスクに置かれている固定電話がけたたましく鳴ったのは。


 おいおい、まだ始業時間来てないし、朝礼だってまだ始まってないのに……。


 ちょっと非常識だと思ったけど、杠葉さんは嫌な顔を一切しないで素早く電話の受話器を取り、耳に当てた。


「はい、ユズリハ探偵事務所です。ご用件をお伺いしてもよろしいですか」






 十分後。電話を切った杠葉さんは、自分の方に顔を向けていたタツさんにこう言った。


「タツさん。今日の午後四時に、あなたの元奥様がこちらに依頼に来られます。依頼内容は、元夫に対する素行調査だそうです」


 タツさんの全身にヒビが入ったような音が、事務所いっぱいに響き渡った気がした。

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