第77話

「……よう聡、今日は杠葉さんのお供で出勤か? うらやましいなぁ」

「おはようございます杠葉さん、聡さん」


 杠葉さんと一緒に事務所の扉をくぐると、からかうように笑いながらこっちを見てくるタツさんと、相変わらず淡々と挨拶をしてきた今日子ちゃんと目が合った。ちらりと壁の時計を見てみれば、始業時間にまだ少し余裕がある。今日子ちゃんはともかく、タツさんがこんな早い時間にいるのはちょっと予想外だった。


「おはようございます、タツさん。今日は早く来られたんですね」


 杠葉さんも俺と似たような事を考えていたのか、タツさんに向かってにこりと笑いながらそう言う。するとタツさんはすぐに照れたように頭を掻きながら、「いつもすんません」と言葉を返した。


「今日はカミさん……いや、元女房との面談日なんで、健太は昨夜からそっちに預けてまして」

「そう、大変なのね。元奥様は相変わらず?」

「ええ、もうとっくに決着はついてんのにいまだにごねて……でも取り決めなんで、面会は守らねえと」

「何かあったら遠慮なく言って下さい。力になりますから」

「ありがとうございます」


 デスクの椅子に座ったままでタツさんがぺこりと頭を下げるのを見た後で、杠葉さんは自分のデスクに向かっていく。俺も宛がわれたデスクにそろりと座ると、ふいにタツさんのデスクの上に飾られていた写真立てが視界の端に映った。


 写真立ての中に収まっていたのは、一組の男女とまだ物心ついてなさそうな赤ん坊が仲良く寄り添っている写真だった。何やら大がかりなセットや小道具が周囲に置かれていたし、両親と思われる男女もまた何かの衣装なのか、やたら装飾が施されたひらひらした生地の服を着ている。まだそんなに前って感じには見えないし、何より父親の方はデスクの主と同じ顔――ほんのちょっと前の、タツさんだった。


「これ、健太君……?」


 高峰小学校のグラウンドでほんの数分会っただけの、父親と全く同じ服のセンスをしていた男の子を思い出す。そうか、赤ん坊の頃まではこうして家族皆で一緒にいたのか。


 ついそんな事を思っていたら、すぐ近くから「う、ううんっ!」とわざとらしい咳ばらいが聞こえてきて、反射的にそっちに目を向ければ、まだ照れ臭そうなタツさんの顔が今度は視界いっぱいに広がった。


「そんなにまじまじ見るなって。老けてきてるのがバレんだろ」


 そう言って、ささっと写真立てを自分の腕の中に隠すタツさん。その仕草が何となくおかしくなって「すみません」と謝りつつも、俺はぷぷっと小さく笑ってしまっていた。


「まあ、ついつい。健太君、この間の件でちょっと会っちゃったから」

「え、マジか!? 嘘だろ!?」


 デスクの椅子から飛び上がらんばかりの大げさぶりで、タツさんが驚く。写真立てを抱きしめている腕の力が強まっているふうに見えるし、何なら両目も大きく見開いて、大きな口もぽかんと開いてしまってる。そんなタツさんを今日子ちゃんはちらりと見ただけで何も言わず、やがて興味なさげにノートパソコンの方へと意識を戻してしまった。

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