第64話

「お疲れ様、タツさん。もう上がっていいわよ」


 俺達が追い付いた事に気付いた杠葉さんがそう言った。さっきとは違って、どこか疲れたような声色に聞こえる。タツさんも同じように感じたのか、慌てたように首を横に振った。


「いや、俺残りますよ! 杠葉さん、昨日から寝ていないでしょう!? 俺が見張ってますから、杠葉さんが上がって下さい!」

「そんな訳にはいかないでしょ? 私には、あの家族を強請った責任があります。万が一の事が起こってからじゃ、遅いんだから……」


 そう言うと、杠葉さんは俺達が来た方向にふっと顔を向ける。とても心配そうな表情だった。


 もしかして、杠葉さんも俺と同じような事を思ったって事か? それで万が一が起きないようにって、ここで見張ってるつもりなんじゃ……。ん、いや、ちょっと待て。


「あの、杠葉さん。昨日から寝てないって……まさか、俺と別れてからもずっと……?」


 嘘だろ。あれからずっと、杠葉さんは動きっぱなしって事なのか。桐野良彦を尾行して、マリアンヌちゃんを保護して病院に連れて行って、その他にもさっきの強請りに至るまであれこれ準備してって……おいおい、おいおい!


 途中から何も言えなくなって、金魚みたいに口をパクパクさせてしまっている俺の姿がよっぽどおかしいのか、杠葉さんは口元に手を添えてくすくすと笑った。


「意外に思うかもしれませんが、探偵業はもちろん、強請り屋稼業も体力勝負なんですよ、聡くん。二日や三日の徹夜なんて、ごくごく当たり前です」


 いやいや、笑えねえから。少なくとも、俺にはあんな真似とてもできない。やっぱ、こんな仕事は早々に辞めるに限る!


「あの、俺……」

「分かりました、杠葉さん」


 俺が口を開くより一瞬早く、タツさんの言葉が被った。


「午前三時まで俺と聡が桐野家を見張ってます。その後は朝までお任せしますんで、ちょっとでも仮眠を取って下さい。最後の仕上げにクマだらけの顔で行っても、締まらないでしょ?」


 どうか頼みます! と、何度も頭を下げるタツさん。その必死な姿に気圧されしたのか、珍しく杠葉さんは「うっ……」と言葉を詰まらせていた。


「……分かりました。では、少し横にならせてもらいます」


 やがて観念したのか、杠葉さんはそう言うと、のろのろとした動きでワゴンの後部座席に乗り込み、そのまますぐ横になった。そして間を置かず、すうすうと静かな寝息の音が聞こえてきたとたん、タツさんはほうっと大げさなくらいのため息を漏らした。


「よかった。いろんな意味で、本当によかった……」

「いろんな意味でって……」

「杠葉さんは優しい方だから、どんな時も無茶をされるんだよ。多少の痛手はあっても、決して誰もいなくならずに済むようにってな」

「……」

「これが俺達の……いや、杠葉さんの強請り方だ。覚えとけよ」


 そう言って、タツさんがワゴンの運転席に乗り込む。俺も助手席に乗り込んだけど、とても覚える気になんてなれなかった。次に事務所に行った時、退職届を出す。そう決意してたから。

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